〈希望〉まで—あるいは鎌倉佐弓の俳句について

Toward “Hope”: About Sayumi Kamakura’s Haiku

〈希望〉まで—あるいは鎌倉佐弓の俳句について

Shin’ichi SUZUKI

鈴木 伸一

 手元の『映画監督ベスト101』(川本三郎編、新書館、1997年)という本に、今は亡きアメリカの名監督フランク・キャプラ(1897~1991)に触れた次の一節があります。

世界でもっとも愛された幸福な映画は何だろう?アメリカ人ならば、おそらく多くの人が口を揃えて『素晴らしき哉、人生!』(原題「It’s a wonderful life !」1947)と答えるに違いない。小さな町の人々のために自らの夢と希望をひとつずつ犠牲にしてきた善良な男、ジョージ・ベイリーの物語(後略)

この映画史上あまりにも有名な作品については、今さら私がくどくどと申し上げるまでもないでしょう。が、夢や希望が次々と台無しになり、ついには自殺にまで追いやられたジョージの許に現れた天使が見せる、もうひとつの世界、すなわち彼がもしも生まれなかったら周囲の人々の人生はどのように違ったものとなったか?という問いかけには、映画を観るたびごとに考えさせられるものがあります。なぜなら、私自身のこれまでの半生を振り返ると、必ずしも自分の思い通りに歩んでこられたわけではなく、「あの時、違う道を選択していたら、現在はどうなっていただろう?」という空想と、ある種の後悔にとらわれることも、一度ならずあるからなのです。むろん、それは大抵の場合、他愛もない空想に過ぎず、また空想することによって、現実を受け入れてゆくための精神的な癒しを得てもいるようなのですが、それでもやはり私たちの内面の奥深くには、「別の人生」に対する願望が眠っているのではないかという思いを、どうしても拭い去ることはできません。
とは言え、あまり間口を広げ過ぎると収拾がつかなくなりますので、取り敢えず俳句に絞って話を進めましょう。私は俳句と関わって四半世紀近くになりますが、そうした年月の中には、やはり先ほど述べたように、幾つかの選択肢を前に決断を迫られる事態に直面したことがありました。その都度、私なりに決断を下し、そして現在、『吟遊』同人としての私がここにこうしているわけですけれど、もしも二十代のころのようにいわゆる伝統派の俳句結社に属し、何の疑いも持たずに有季定型俳句を書き続けていれば、今ごろは俳人協会の新人賞くらいはとれて、俳句結社のひとつも主宰していたのではないかと思います。いささか自信過剰に見えるかもしれませんが、伝統俳句の世界というのは畢竟、その程度のレベルです。そうした世界にしばらく身を置いていた私が言うのですから、ほぼ間違いはありません。いずれにせよ、弟子に囲まれ、“先生”と呼ばれ、俳句ジャーナリズムからもてはやされることが好きな人間には、この上なく居心地のよい場所でしょう。かく申す私も、そういう地位への欲望がまったく頭をもたげない、と言ったら嘘になります。こんなことを書くと、「仮にも表現者たるものは、自分の下した選択に責任を負え!」との批判を受けそうですし、それはたしかにその通りだと思います。それゆえ私は、私自らの意志で選択した『吟遊』という創作の場に、大きな誇りと自負をいだいています。が、悲しいかな、その一方でときどき本音と建前が違ってしまうのが人間というものかもしれません。
そして、今私が申し上げてきたことについて、鎌倉佐弓さんはどのように思われるでしょうか?と言うのも、佐弓さんも私と同じように、俳句作家としての出発点は「伝統派」であったからなのです。

ここで、思い出話をひとつ記しておきましょう。
正確な日時は失念してしまいましたが、たしか十五年ほど前だったと思います。「精鋭句集シリーズ」(牧羊社)という全十二冊のシリーズ句集の完結を記念して、東京で祝賀会が開かれました。当時、我が国の俳句ジャーナリズムは空前の新人発掘ブームと言ってよく、かなりの数の新人作家が登場してきましたが、その中でもこのシリーズに入集した十二人は、作品の質、俳句に対する見識ともにトップクラスに位置する作家たちでした(ちなみに夏石番矢さんの『Métropolitiqueメトロポリティック』も、その中の一冊です)。そして、このシリーズをきっかけとして若い作家たちの句集がぞくぞくと出版されてゆくのですが、これに先立つ1984年に、佐弓さんは第一句集『潤』を出しており、また、すぐれた新人としてすでに高い評価も得ていました。つまり、前述の十二人よりもさらに先をゆく、いわば新人としてのトップランナーであったということは、衆目の一致するところでした。こうした点から、参集した大勢の若い作家たちを代表して佐弓さんが祝辞を述べられたことを、私は今でもよく覚えています。語弊があったら謝りますが、当時の佐弓さんは、まさしく俳句結社「沖」のプリンセスであったように見えます。もしもそのまま大人しく結社にとどまり、伝統的な俳句を作り続けていたら、同じ「沖」出身の正木ゆう子さんや中原道夫さん以上の売れっ子となっていたことでしょう。
しかし、もしもそうだったとしたら、私のこの文章は、残念ながらここで終わってしまいます。空疎な賛辞に囲まれた人気俳人鎌倉佐弓の姿など、私は文章にしたいとは思わないからです。が、賢明にも佐弓さんは、そういう安易な道を選択することはありませんでした。したがって、私にとっての鎌倉佐弓論は、あらためてここから始まるという次第なのです。
ともあれ、「もしも」という空想ではなく、いま目の前にいる佐弓さんについて、具体的に論じるべきときが来たようです。
「沖」を出た後、それまで私はいろいろな方にチヤホヤしていただいていたのですけれども、俳壇というところからも無視されるようになりましたし、ああそうか、結社にいるということはこんなに力があることなんだと思いました。
これは雑誌『俳壇』(本阿弥書店)1999年4月号の座談会「定型とことば」(同席者 金子兜太・中原道夫・仁平勝の各氏)での、佐弓さんの発言。まさに実感だろうなあ、と思います。とにかく、「何かにつけてチヤホヤする」というのが、大方の俳句結社における新人の遇し方ですし、それによって有為の新人が次々とダメになってゆくというのも、また多くの結社のたどる道です。まあ、それで消えてゆく若い作家は結局、俳句の将来に加担するだけの力量を持ち合わせていなかったということなのでしょうが、さすがに佐弓さんは、そうした危険性を察知する鋭敏な感覚の持ち主でした。
ところで、佐弓さんが「沖」を離れて、すでに十年以上経つようですが、なるほど「沖」離脱後しばらくの間、佐弓さんは俳句ジャーナリズムから冷遇されていたことを私も承知しています。まさに、「結社の力」というものを思い知らされもしたことでしょう。そして、私もたまたま同時期に、それまで所属していた結社を退会したこともあって、ある種の親近感を覚えながら佐弓さんの動向を注視していたものでした。しかしながら、少なくとも私自身は確信しているのですが、そうしたつまらぬ俳壇的力学から解放されたことは、むしろ俳句を作る者にとって幸せであったはずです。何しろ、世俗的な評価や大衆の支持を手放したかわりに、それよりもはるかに大切な「作家としての自由」を手に入れたのですから…。
(前略)いつか私は季語にこだわらなくなるに違いないという気はしていたのですが、「沖」をやめるときに「私は季語にこだわりたくありません」って言う自信はなかったですし、第一、作品も作っていなかった。でも、「沖」にそのままいたのでは季語を使った句をいままでのように発表していかなければいけません、「沖」は有季定型の場ですから。だから、ここを一歩飛び出さなければ私は私の句を作っていけないという気持ちもあって、それで進み始めたのです。
先の座談会で、佐弓さんは自分の進むべき道をどのように決断したかについて、こう語っています。俳句作家としての佐弓さんの立場は、季語と、季語以外の言葉を等価に見て、それぞれを大事にしてゆこうということですが、このしごくまっとうな考え方が、実は俳壇的にはいまだに少数派と見なされているというところに、現代日本の俳人の見識の低さと、あるいは十年一日のごとくに変わらない保守的・閉鎖的な性格がうかがえるでしょう。しかし、世界俳句への歩みが確実に始まっている今日、このままの状況でいいとは思えません。

柩には窓を海原には風を         「吟遊」第6号、2000年3月
蔦・杉・松ひかりが集う樹よいずこ     同   第9号 、2000年12月

佐弓さんの近作中で、私が特に感心した二句ですが、「風」「ひかり」というキーワードに、現在の佐弓さんの指向するものの一端が見て取れるように思われます。それを私なりに言えば、可視と不可視の境目、あるいは現実界と異界の境目への指向ということになりましょう。見えないものを見る、聞こえない音を聞く、こうした創作行為を続けてゆくのはなかなかしんどくて、よほど強い意志と志がないとできないことでしょうが、しかし、それがやがて私たちの存在そのものの意味を逆照射してくることになると思うのです。そして、この困難な行為を誠実に実践している佐弓さんを、私は信頼したいのです。
さて、ここでもう一度先の座談会から引用しますが、こういう発言があります。
私がいちばんショックを受けたのは、(中略)三橋鷹女の作品でした。鷹女の作品に出会ったとき、この人はなんて自分の内面を深く追いかける人なんだろう。恐らく苦しかっただろうけれど、ある意味じゃこれが喜びでもあったんだろう。すごいことだと思ったのです。
これを読んで、私ははたと思い当たりました。鷹女もまた、俳壇的しがらみから身を遠ざけ、ひたすら自己の信じる道を突き進んだ稀有の作家でした。特に、女性俳人としては、その先駆的存在と言ってよいでしょう。そして、作品の質は違うけれど、鷹女も佐弓さんも志の高さと意志の強さという点で、どうやら共通するものがあるようです。佐弓さんの前を行く作家として、確かに鷹女こそはふさわしい人物だと思われます。

るり紐欲しわたしの春をつないでおく   「吟遊」第3号、1999年6月
白磁なる壺あり霧はまだ溜まらぬ      同  第5号 、1999年12月

例えばこの二句など、鷹女の後裔的な雰囲気が感じられるような気がします。前句には自己所有への欲求があり、後句にはその欲求が満たされないことの欠乏感があるでしょう。こうした自己内面への容赦のない切り込みと、それを詩的に描き切る修辞力は、鷹女の作品にも顕著な特徴のひとつと言えます。
私はフランスにいたとき、三橋鷹女も振り切って、ちっぽけだけれど私は私なりにやっていこうと決心できました。(同座談会)
そして現在の佐弓さんは、この発言からも判るように、鷹女をも乗り越え、いよいよ自分独自の道を切り開きつつあるように見えます。俳句作家としては、まさに正念場にさしかかったと言ってもよいでしょう。

林檎割る帰心もすっぱりと割れよ    「吟遊」創刊準備号、1998年9月
秋冷に濡れてはならぬ丸木橋       同     第4号、1999年9月
野はどこも正面フリスビー進め        同     第5号、1999年12月
水を渡り山越えるべし希望まで       同     第9号 、2000年12月

これらの作品における「割れよ」「濡れてはならぬ」「進め」「越えるべし」といった命令や打ち消しの表現に、敢えて困難な道へと歩を進めようとする佐弓さんの高揚した精神が出ているのかもしれません。また、いずれにも潔い、そして前向きな意志が貫通しているのも注目したいところです。何と言うか、目に見えない悪のようなものをきっぱりと拒み、よりよき明日への道を真摯に探求している、といった感じがするのですが、私の貧しいボキャブラリーでは、どうもうまく言い表すことができません。ひょっとしたら、こういうのって人類愛と言うのでしょうか?それも、日本人の間でのみ通用するといったローカルなものではなく、もっとグローバルな人類愛という感じです。
そう言えば、佐弓さんは中村草田男も愛読していたらしい。なるほど、草田男は生涯にわたって人類愛を詠い続けたという印象の作家です。ただ、良くも悪くも、いかにも生真面目でした。もとより、佐弓さんが不真面目というのではありませんが、草田男に比べるとずいぶん自在だという気がして、それは例えば、渡り鳥が軽々と国境を越えて飛んでゆくのに似ています。そうした特性は、佐弓さんの持って生まれた資質に拠るのかもしれませんが、同時に夏石番矢さんの存在も大きいのだろうと思います。ともあれ、草田男の作品にあるのが近代的、かつ日本的な人類愛だとすれば、佐弓さんのほうはきわめて現代的で、しかも世界規模の人類愛だと言ったら、贔屓の引き倒しになるでしょうか。ですが、例えば先に挙げた二句が次のように英訳されたとき、その魅力がいっこうに損なわれないどころか、かえってすぐれた「詩」として、それこそ渡り鳥のように国境を越えて人々に感銘を与えてゆくであろうことは、想像に難くありません。ですから、私が申し上げたことも、あながち見当違いではなかろうと思うのです。

蔦・杉・松ひかりが集う樹よいずこ

ivies, cedars, pines
where is a tree
on which the light converges

水を渡り山越えるべし希望まで

we shall cross water
we shall pass mountains
before reaching “hope”

(訳 青柳フェイ/ジム・ケイシャン)

両句とも、2000年9月にスロベニアのトルミンで開催された世界俳句協会創立会議の折に作られ、アンソロジー『透明な流れ』(夏石番矢編、吟遊社、2000年)に収録されたものです。先に述べた両句のグローバルな作品世界は、海外で詠まれたという外的な理由からではなく、鎌倉佐弓という作家の、紛れもない個性に拠るものだと理解するべきでしょう。例えば、二句目の「水」は川でもない、湖でもない、海でもない、まさしく「水」なのです。そして逆に、それが道ばたの小さな水たまりから果てしない大洋までを私たちに想像させ、同時に「希望」までの長くて困難な道のりをも暗示しているかのように思わせます。確かにこれは、世界俳句の見事な成功例と言えるでしょう。
もちろん、従来の佐弓さんにはこういう傾向の作品だけでなく、これまでにも多くの評者が論じてきた「女性性」を詠い上げたもの、あるいはユーモアとエロチシズムが渾然一体となったものなどがあり、その守備範囲はかなり広いという印象を受けます。

この母の骨色の乳ほとばしれ      句集『天窓から』、1992年
「ごめんなさい」お尻ほのかに暖かし  句集『走れば春』、2001年

それぞれの傾向をよく表した秀作ですが、ただ私の見る限りでは、近年の佐弓さんの作品からは、どちらの傾向も薄れつつあるように思われます。これは多分に私の個人的期待も含まれますが、いま佐弓さんは湿潤な日本的風土を越え、また女性性や、その他諸々の特質をも越え、いわば一人の「地球人」として俳句を書こうとしているような気がします。そこには、私たちの知らない視野の広々とひらけた世界が、きっと現れてくることでしょう。

(「吟遊」第11号、吟遊社、2001年7月20日刊)