『世界俳句 第2号』―書評兼論考

■書評 Book Review
『世界俳句2006 第2号』――書評兼論考
『世界俳句2006 第2号』夏石番矢・世界俳句協会編、七月堂

(当アンソロジーの購入については、http://www.worldhaiku.net/news_files/wh2006/wh2006japan.htm参照)

グラント・コールドウェル(オーストラリア)
和訳 湊  圭史

『世界俳句2006 第2号』の書評を書かないかと夏石番矢からお誘いをもらう前からすでに、このアンソロジーに収められた夏石とエドヴィン・スガーレフ、秋尾敏の論考への応答となる一文を書き始めていた。よって、この書評はそれと、アンソロジー全体の評を合わせたものとしたい。

内容へと進む前にまず、このアンソロジーについて印象的な点を伝えておこう。そこには、日本語の他、様々な言語で書かれた作品を多数含む、27ヶ国158人による472句がほぼすべて、英訳つきで収録されている。さらに、10ヶ国11人による11枚の俳画、東西からの5人の俳人・詩人による5つの批評文あるいは論考を読むことができる。国名をあげるならば、ナイジェリアからブルガリア、ネパール、アイルランド、クロアチア、スウェーデン、セルビア・モンテネグロ、さらにドイツ、アイスランド、デンマーク、ロシア、イタリア、オーストラリア、ニュージーランド、また、アメリカ、マケドニア、フランス、イギリス、ポルトガル、スロヴェニア、ベルギー、ルーマニア、ギリシャ、インド、そしてもちろん日本からの、29歳から81歳(ジュニア俳句コンテストを除く)にわたる幅ひろい年齢層の人々が集っている。

秋尾敏の「滑稽とユーモア」、エドヴィン・スガーレフの「ブルガリア俳句」、夏石番矢の「俳句をとおして本当に東洋と西洋は出会ったか?」の3つの論考では、各著者の見解がある点においては矛盾しあい、別の点では同意に至っているようだ。ここでは、それぞれの論のキーポイントだと私が思うところを取り上げながら、諸氏の見解を何とか整理してみようと思う。私が指摘したいポイントは、秋尾による俳句の起源について考察、スガーレフの「禅的要素」についての省察、それに、夏石については2点、現代俳人の俳句理解が特に西洋において不十分であるとの見解と、翻訳の問題に関する考察である。これらのテーマは、現代俳句の、またおそらくは現代の詩総体が抱える問題の、その中核につながるものであると思われる。
エドヴィン・スガーレフは「俳句という言葉に関しては、私はいかなる定義も性格付けも、また俳句の書き方、従うべき原則の処方箋も信じていない・・・[それは]俳句のエネルギーと衝撃が捉えがたく、いかなる合理的な説明からもこぼれ落ち、抑え置くことができないから」(土谷直人訳、p. 91)だと記している。私はスガーレフがその論考で述べていることの大方に賛同するものである。だが一方で上の言葉は、まさに「捉えがたく、いかなる合理的な説明からもこぼれ落ち」てしまうものである点において、夏石番矢が現代に書かれる俳句の多くを批判する理由を示しているだろう。「俳句は、意味から逃れられはしない」(p. 106)という夏石の指摘はまっとうなものだ。私の見解では、禅と俳句がふたつながら誤解(また誤訳)されてきたことが、俳句についての誤まった考えを広める原因となっている。ほとんどの古典俳句は論理的分析が可能であるにもかかわらず、つたない翻訳によって、また俳句(そして禅あるいは道教‐仏教[1])そのものであるところの「見ること」の本質が真に理解されていないことによって、説明不能と思しき句となってしまっているのではないだろうか。論理的理解が容易な古典俳句の一例として、一茶による次の俳句を挙げておこう。
鳴ながら    insects on a branch
虫の流るる   floating downriver
浮木かな    still singing
現代の優れた俳句にも、この『世界俳句』アンソロジーが示しているように、論理的分析を許すものは多いのである。例えば、8ページのロバータ・ビーリーによる一句である。
待合室 waiting room –
前妻 the ex-wife
私を見透かす  looks past me
このアンソロジーにはまた、俳句を「捉えがたい」ものとする見解に基づいて書かれたように見える作品も掲載されている。しかし、すでに示唆したように、ここでも、翻訳の問題からそう見える場合と、読者の洞察を真に求めるものである場合、その双方が考えられる。28ページのA・A・マーコフによる俳句は、一読では論理的解説を拒んでいるが、最初は(少なくとも私にとっては)漠として感じられた何かを、響かせ、捉えることに成功している。
盲人が          a blind man
こわれた壁を通っていく  passing a broken wall
夕暮れ          at dusk
丁寧に読むならば、この句が同情的あるいは哀しげなアイロニーの要素(寂[2]だろうか)をもつことが分かるだろう。さらに見えてくるのは、3つの別々の「物語」、3つの異なったレベルである。つまりこの句は、個人的で私的な要素(盲人)、全体的状況・背景(こわれた壁)、そして一時的かつ普遍的なもの・自然なもの(夕暮れ)を含みもっているのだ。個人的にも、集合心理的にも、これらのイメージから紡ぎだされる象徴的効果は多岐に渡るものだ。だが、ここにはそれ以上のものがある。この見かけではただうら哀しいだけの一日の終わり(夕暮れ)に、盲人が見ることができない(がたぶん触れること、感じることはできるだろう)こわれた壁(侵食/破壊/混沌/戦争)を通っていくワンシーンには、これら複数のレベルの結合によってのみ達成される何か、神秘的で無時間的で精神を高めるような何ものかがある。ここには、理性的に俳句の魔法が解明されうる一例と、そこにイメージが生み出す言い表しがたい余剰というものが、<部分の集合は全体を超える>という(たぶん引用されすぎた)原理のかたちで明示されている。作者A・A・マーコフはこの句を書くときに、それがもつ意味の多数性を意識しただろうか? あるいはそうした多数性は、単にそこに表れたイメージによって捉えられたに過ぎないのか? 私の推測では、始めにはイメージが意味を捉えたのであって、しかしそのあとでどうしてそうなったのかを、意味のほうが見出したのだ。であるから、ここには2つの視座が関わっている。ひとつは「創造的」視座であり、これは夕暮れのこわれた壁のもつ意味には「盲目」であるかも知れない。もうひとつは分析的視座である。こちらは、イメージがはらむ多数の含意を認識する時間と客観性をもっている。こういっても、「創造的」視座だけで十分、伝達される感情だけで十分ではないか、という読者がいることだろう。しかし、そうした伝達が起こりうるためにはやはり論理、もしくは「意味」が必要なのだ。
スガーレフと原理の問題に戻ろう。ひとつの規則というものがありうるとすれば、俳句とは「意義をもつ瞬間」、象徴・比喩・類推を通して単一の意味やイメージ以上のものを捉える瞬間に関わるものだということであろう。だからこそ、最初は謎めいていたり、過度にシンプルに見えたりするイメージやイメージ間の独特の結合が、くわしい観察によって、多数の意味や連関、認識に通じてゆくということが起こりうるのだ。しかしこのこと、また他の「規則」や「自然」がもつ深さの指摘は(驚くべきことではないが)、芭蕉その人によって遥かに明瞭に示されている。アメリカ詩人ロバート・ハスが著書『必須の俳句(芭蕉・蕪村・一茶の翻訳) The Essential Haiku (Versions of Basho, Buson and Issa)』で述べているように、「芭蕉自身は詩学について体系的論文を書くことはなかったし、彼の考え方は時期によって変化している」(Hass, p. 294)。しかしながら、ハスは芭蕉による詩・詩学に関する所見の非常に有益なリストを、芭蕉自身の散文や、弟子たち―そして多くの翻訳者たち―が伝えた言葉など、様々な文献から編んでくれている。このリストの脚注でハスは、「芭蕉の発言として伝えられる言葉のすべてが彼のものであるかどうかは完全には明らかではない」と付け加えているが、このリストに収められた発言のほとんどが啓発的・刺激的なので、私自身これをひとに薦めるのに躊躇しない。ハスはこれに「松に習え」と題して、彼の本の233‐238ページに収めている。ここでもっとも関連の深い「規則」は、2番目に挙げられた「故人の跡を求めず、求めたるところを求めよ」である。リストの残りの項目は「求めたるところ」についてのものである。
エドヴィン・スガーレフは「松に習え」の第一に挙げられた(おそらく最もよく引かれる)金言を、俳句と禅の関連を説明する際に用いている。「俳句は書かれたり創造されたりするものでは無くて――俳句は単にそこに存在するもの、野原に隠れた一輪の花のようなものです。・・・客体を観察している主体の位置、見地から俳句を詠むことは出来ません――自分自身から抜け出して過去と現在を超越し、今ここに凝集し、ひとつにならなければならないのです。その意味で俳句は瞑想芸術であり、この点に、禅との深い(しばしば否定的な)関係が有るのです。芭蕉が「松を読まんと欲すれば、松となるべし」と言うとき、詩的テクニック以上のことを言っているのです。それは非二重性、禅の基本である、宇宙へと溶解するおのれ自身の原理を表現しているのです」(土谷訳、p.91)。ここが私の見るところ、スガーレフの論の要点であり、これはまさにブライスが誤解してしまったらしい、夏石がそれを94ページにおいて批判している、「無私」(独立/単一であること?)のことなのである。スガーレフは西洋の詩においては、「言語の奴隷化」が「積み込み[重荷]や制限」として感じられていることを嘆きさえする(スガーレフ、p.91)。なるほど、私も西洋哲学の貧困(そこで支配的な物質主義文化)に、この欲求不満と限界が反映されているのを感じる。おそらく、この「積み込み[重荷]」こそが、世界中のこれほど多くの詩人たちが俳句に惹かれる理由なのだ。なぜなら、彼らの興味の基礎にあるのは俳句の本質にそった俳句そのものではなく、禅のもつ「実存コード」(スガーレフ、p.91)なのだから。真に俳句を理解しようとするならば、私たちは禅とは何か、道教/仏教とは何か、その「実存コード」を理解しなければならない。いや、より正確を期して言えば、理解しなければならないのは、最も広い意味において「自然」とは何かということである。夏石が論考で正しく指摘しているのは、数多くのつたない翻訳にそうした翻訳(さらにオリジナルの日本語・中国語テクスト)のつたない解釈が重なることで、正しい理解のための光をあてるのと同じぐらい、東洋哲学(と俳句)を見えにくくしてしまっているという事実だ。ここで、とても基本的な区別ではあるが、包摂し、支配し、操作する気質をもつ西洋的気風と、自然と協力、協働し、ともに流れていくような、かつての東洋的(また他の古い文化にも共通の)気風を分けてみるべきだろう。これがおそらくは、俳句(あるいはその先駆の連歌)が始めに、季語・季題、つまりは自然に対しての言及を必要とした理由であろう。しかしもちろん「自然」とは単に自然界をのみを指すのではなく、私たち人類も、たとえ都会的人類であっても自然の一部なのである。このことは、私たちが「進歩」によってどれほど自然を悪化させ、どれぐらい消滅させてきたかに関わらずそうなのである。アメリカ抽象表現主義の著名な画家ジャクソン・ポロックが、「私は自然を描かない、私が自然なのだ」と喝破したように。

道教の学者のふりをする気は毛頭ないが、私は老子や荘子を多くの翻訳テクストで長年研究してきた人間である。そして翻訳の読みを通じて東洋思想を説明しようと試みるまたひとりの西洋人になる危険を冒してでも、道教の思想は(そして同じことは仏教や俳句にも言えるのだが)、道教のみに、また特定のひとつの文化に限定して帰属するのではないはずだ、それは世界の法を「体感することseeing」であると信じているので、よって、ここで簡潔に道教思想が何であると私が考えているかを論じることを試みようと思う。そうすることで、私が思うところにおいて、俳句とは何に関するものであるのかという問いにアプローチしてみたい。だがおそらくその前に、さらなる「但し書き」として、『道徳経』から二つの節を引いておいたほうがよいだろう。最初は、第56章の始めの部分である。
知るものは    Those who know
話さず、     do not speak;
話すものは    those who speak
知らず。     do not know.
(知者不言、言者不知。)
二番目は、第1章の冒頭である。
名づけうる道は                 The way that can be named
不変の道ではない、               is not the constant way;
名づけうる名は                 The name that can be named
不変の名ではない、               is not the constant name.
名のなきものが天地の源であった、        The nameless was the origin of heaven and earth;
名づけられたものが万物の母であった。      the named was the mother of the ten thousand things[3] (道可道非常道。名可名非常名。無名天地之始。有名萬物之母。)
すでに指摘したように、禅あるいは禅仏教は、本質的には、道教(タオイズム)と仏教の出会いから生み出されたと言えるが、私にとっては道教の原理は、俳句の本質に最も明瞭に感じとることができる。「芭蕉が中国の詩に惹かれたのには、主に二つの理由があるようだ。ひとつは老荘思想への興味であり、芭蕉はそれを日常生活の混乱から、真の自己を取り戻すことができるであろう自然の世界へと、彼を導き出してくれるものと考えた。彼は『荘子』[4]の熱心な読者となった。・・・中国の詩が芭蕉を惹きつけたもうひとつの理由は、禅仏教である」(Ueda, p. 67)。西洋は<唯一>のアプローチを決定する欲求に縛られ、「重荷を背負わされ」て、ロマン主義者の主観と形式主義者の客観から、理論と実践だとか知性と感情だとか、主義宗派ごとに名前が変わるだけの相も変わらぬ対立軸をもって揺れ続けてきた。これは私が思うところでは、すべてを科学的用語で割り切ってしまおう、すべてを分解して説明しよう、<くっきりと永遠に定義づけ>てしまおう、という欲求からきている。しかも私たち、とりわけ芸術家が定義づけ不可であると知っている、そして、そもそもそれが私たちが芸術家になる理由であるような事柄においてさえ、万事そうなのである。一方で、詩人たちは「非科学的に」、言い換えれば創造的に、実験を重ねつつ前進してきた。タオ(道)また禅は、すべての事物がその「相補的反対物」とともにあることを、また私たちの議論にそって言えば、芭蕉が彼の評釈で述べたように、主観的なもの<と>客観的なものの一体性を認識するのである。タオの知恵は、自然を観察することで道を学んだ「先人たち」に由来するもので、その歴史は老子や荘子が「(実存)コード」の解釈や見解を記すよりも、遥か以前から続いてきたものである。
秋尾敏は俳句と中国の関わりについて、次のように言及している。「十四世紀ごろまで、日本では、詩を作るのに二つの方法がありました。ひとつは中国の詩を作ること。もうひとつは日本古来の「和歌」と呼ばれる詩を作ることでした。・・・しかし、中世に和歌から派生した「俳諧」は、それまで和歌には用いられなかった、中国の語彙や、身の回りの俗語を使ったのです。・・・それ(俳句の創始)は形式化した正当性をを逸脱した、自由な表現によって真実をとらえようとする潮流のスタートでした」(秋尾、p. 83-4)。
夏石番矢の主要論点は、a) 西洋の俳人たちによる日本語の習得、b) 禅仏教と俳句の混同、c) 翻訳の問題の3つである。b) についてはすでに十分に述べたと思うので、ここからはお互い密接に関連した a) と c) のポイントを同時に取り上げてみようと思う。
西洋人が日本語俳句を真に理解しようと望むなら日本語を学ぶべきだ、という点については、夏石にまったく同意したい。私たちの言語を学ぶ努力を行ってきた番矢のような人々に出会い、翻って私自身はその努力をしてこなかったのに気づくと、私の心は賞賛と罪の意識でいっぱいになってしまう。私の自己弁護は、世界の支配的言語(もっとも多い人数が話すという意味では中国語だがそれはひとまずおいて)に私が生まれおちたということ、他文化に生きる多くの人々が英語を学ぶのを求められるような仕方で他言語を学ぶ必要が、この5年か10年前まではまったくなかったということ以外にない。これが排外的立場であることに異論はないが、一面これは実際的条件でもある。もし私が日本語を学ばなければならないとしたら、同様に、オーストラリア原住民の(数え切れないタイプが存在する)言葉も、ゲール語、中国語、スペイン語、ドイツ語、インドネシア語、ポルトガル語、ロシア語、なども学ばなければならないだろう。
それに私は、詩・俳句・小説、研究調査、教育と仕事に時間を取られつつ、英語を学ぶことも続けている。おそらくこれらのうち一つでも減ることがあったなら、中国語あるいは日本語を学ぶことを考慮に入れることができるかもしれない。こう言いつつ私が感じるのは、実は、問題は言語にではなく、1)俳句の本質の理解(あるいは詩の本質の理解であるかもしれない――思うに、ブライスも鈴木大拙もバルトも詩人ではなかったのだから)、それに、2)俳句作品の翻訳、にあるのだという気がしてくる。日本語の習得ですべて解決するわけではないことは、ブライスそのひとの例を見ても明らかだ。ブライスは28歳から日本文化に浸りきり、日本語を学び、何人もの師について禅を研究し、39歳で日本人女性と結婚、日本の高校で教鞭を取っていた。彼は66歳で死ぬまで日本に住み、学び、翻訳し、教えつづけたのである。にもかかわらず、夏石が引くように、ブライスの芭蕉翻訳の試みは、それに他の翻訳にしても、俳句さらには禅に関する彼の理解が心もとないものであったことを示しているようだ。なぜそうなったのかを理解することは、彼に「詩的聴覚」が欠けていたことと、禅あるいは道教の本質に真の意味で親しむことができなかったからだと考える他ない。私は夏石とは違い、鈴木大拙の仏教についての論考を少し込み入りすぎてはいるものの、たいへん説得力があり、しっかりと表現されたものだと思っている。また、夏石が鈴木の判断に「欠けて」いたものとして挙げている「アニミズム的」要素は、道教の伝統にも含まれているもので、それが俳句を仏教よりも深く、禅の真の起源に近しいものにしていると考えている。しかしむろんこれらすべては、俳句とは何か、詩とは何かという問いに呪いのように付きまとう、イズム、コード、原理の解釈の問題ではある。道教の始祖のひとりである荘子が、「通常ひとはあらゆることについてお互いを説き伏せようと議論を繰り返すが、賢人はすべてを受け入れる」と述べているのを思い起こさせられる。
興味深いのは、ロバート・ハスもまた、夏石が考察に取り上げている「霧時雨富士を見ぬ日ぞおもしろき」の句について、長い解説を試みていることだ。ハス自身の英訳は次のようなものである。
Misty rain,
can’t see Fuji
-interesting!
この翻訳はブライスの試みを進展させたにも関わらず、原句を「捉える」ことに失敗しているように思われる。ハスは本の後ろの注釈で長々とこの句の言葉を点検し、その最後で、「この(日本語で行われた)美学的な様式化は、かつて春雨や霧時雨や夕立が自然の神霊、はっきりとした存在として考えられていた頃の、アニミズムの名残を留めている」(Hass, p. 255)と述べている。上田真も同じ句を、芭蕉のオリジナルについた前書も含めて英訳している。くわえて、この句を「解釈する」のに役立つものとして、18‐19世紀の俳人・学者の評釈を引いている。そのうちの一人の学者トウカイ・ドント(Tokai Donto)訳注は、14世紀の学者である吉田兼好の「花は盛りに、月は隈なきをのみ、見るものかは」 (Ueda, p.102)という意見を引用で示している。上田の
in the misty rain
Mount Fuji is veiled all day –
how intriguing!
という翻訳も私を満足させるものではない。が、この句の真の理解を進めるうえでも、上田のこの論考全体を読むことをお薦めしたい。
1996年に私は、コロンビアのメデリンへ、国際詩歌祭に参加するために旅行をした。70年代にスペインとモロッコで過ごしたことがあり少しはスペイン語を習っていたので、到着してみてスペイン語での非常に基礎的なレベルでの理解とコミュニケーションは可能だった。それでも言葉の通じない国にいるほとんどの間、あの「耳も聞こえず喋れもせず」の感覚を経験することになった。幸運にも英国人女性のクレア・パイが私の詩をスペイン語に翻訳するのに同意してくれた。地元の人々の反応や英語も話す参加者たちの意見によれば、彼女の翻訳はとても優れていたことは間違いない。もしかすると、元の私の詩よりもよかったかも知れない! 名前は挙げないが私の友人であり同僚である詩人は、これとは全く正反対の経験をした。まともな英語を喋る地元のスペイン語話者に、彼の詩を英語からスペイン語に翻訳してもらったそうだ。友人が言うには、スペイン語を話す人たちの反応とコメントからして、その翻訳がまったく不適切なものであったのは明らかだった。こうした経験とこのテーマについて書かれたものから、私は翻訳についてのいくつかの主要な原理を導き出してみた。a) 翻訳を行おうとする人物は詩的聴覚をもっていなければならない、b) この人物はオリジナルの言語のネイティヴ・スピーカーであり、対象言語も流暢にとまでは行かなくともそこそこは話せる必要がある(クレア・パイはスペイン語を流暢に話し、地域の学校で英語教師をしていた)、c) 翻訳者は「第二言語」のネイティヴ・スピーカーを最低限一人、相談役として確保しておくべきである(クレア・パイはもちろん彼女が使うスペイン語についてアドバイスを求めることができる地域の人々をたくさん知っていた)。というわけで、例えばドイツ語に芭蕉の俳句を翻訳しようとするならば、理想的には、流暢ではなくともそこそこのドイツ語を操ることができ、相談することができるドイツ語ネイティヴの話者にアクセスできるような日本語話者が必要である。これが満たされれば、もしかすると富士山の句も「完璧に」翻訳できるかもしれない。
『世界俳句2006』には多くの優れた俳句が収められており、芭蕉、蕪村、一茶らが捉えたものを同じく捉えることに成功している。それは彼ら以降の多くの俳人が、彼らの詩の本質において、発展・前進させたかたちで生み出し続けてきたものであり、ほとんど常に言い表しがたい精妙な表現で、存在や存在のもつ連関、また驚異などを暗示することで成し遂げられてきたものである。ここに収められた俳句は、私を刺激しインスピレーションを与えてくれた。それらは、良質の論考や俳画を別にしたとしても、この俳句集を手に取る価値の高いものとしている。また、私が「理解する」ことに困難を覚えた句や、単に含蓄が少なく明瞭に過ぎる句も多く見うけられた。すでに示唆しておいたように、これらの句の問題はもしかすると翻訳にあるのかも知れない。あるいは、句のもつ文化的背景やニュアンスを私が理解できていないということもありうる。後者は翻訳に常につきまとう困難であるが、すべての文学について言えるのと同じく、とりわけ十分な数の読み手が十分なコメントを行うとすれば、最良の詩句が生き延びるのを不可能にするものではないだろう。私個人にとくに響いてきた句を引いてみてみよう。
ロバータ・ビーリー (p. 8)。3句すべてが興味を掻き立ててくれた。珍しく家庭的な質をもっており、ユーモラスなほのめかしにも満ちている。
待合室 waiting room –
前妻 the ex-wife
私を見透かす  looks past me
特にこの二番目の句は、嫉妬、困惑、プライド(?)といった人間的「本性=自然」を強く暗示していて好ましい。なぜ彼らは「待合室」にいるのか? 病院の待合室だろうか? 妊娠していたり、病気だったりするのか? 連想される事柄は数多く、興味をかき立てられる。だが、私たちは状況のすべてを知る必要はないのであって、面白さは、一瞬に起こった交流(あるいは交流のなさ)とその含蓄なのだ。
ジョネット・ダウニングの3句も楽しめた。特に次の句、
木に彫られた  a heart
ハートに    carved in a tree
ひびがある   has a crack in it
句の含意は明瞭であるが、作者が自然な形で認識した「偶然の」アイロニーは味わい深いものだ。3行目で、詩人と読者にとって、ユーモラスな皮肉を含んだ物語へと「飛躍」してくれる。
ジル・ファーブル――3句ともに良句で、中でも2句目、
この友                     This friend,
知っていると思っていたが、彼の車のトランクに  I thought I knew, in his car boot:
猟銃                      a hunting gun
ここでも、3行目への「飛躍」が幻滅をはっきり示唆することで、1行目の「この友」という設定と対照をなしている。「彼の車のトランクに」何が入っていたかが焦点となるのだ。友人が銃を、彼(彼女、でもいいかも知れない!)の車のトランクに入れ携帯していることの意味は、単にうす気味悪いということだけでなく、作者が発見してしまった友人の隠れた性質、その秘密性を強めるところにある。
カイ・ファルクマン(p.15)では、特に最初の句が面白い。他のふたつの句はアイデアは良いが、私の見るところそれが十分に生かされていない。
アレクサンドラ・イヴォイロヴァ(p. 21) ――
朝         Morning
外で犬が吠え    the dog’s bark outside
雪の匂い      smells of snow
明確な季語をもった句である。ここで、「匂い」イコール犬の吠え声でないことは明らかだ。吠え声は降ったばかりの、おそらくはその年の最初の雪から響いてくるように聴こえているのだが、同時に、作者は雪の匂いをまさに感じている――であるから、私たちもまたその匂いを感じ、犬の「雪のような」吠え声を聴く――私たちも「そこ」にいて、この状況を感じとるのである。もしかすると、私が摂氏35度のメルボルンで読んでいるせいで、いっそうこの句に共鳴できているのかも知れない!
エカテリーナ・クノヴァの3句(p. 27)はとても良いが、中でも
日暮れ時       Sunset –
私のおばあちゃんの  my grandma’s
さくらんぼジャム   cherry jam
おばあちゃんの人生の日暮れ時、私たちが夕陽の中で彼女と並べて眺めるさくらんぼジャムの色、そうした照応によって示される寂、ふたりの女性のあいだに通う慈愛や家庭の温かさ、家族としての感情が強く伝わってくる――私たちもこのジャムを食べたような気さえしてくる。
ルミャーナ・リャコヴァ(p. 27)――
雪が静かに       The snow quiet
鹿の足跡へと      In a deer’s footprints –
日の出         Sunrise
この句では、雪の静けさ、降雪時のあの孤立したような感覚、雪の(静寂の)なかで独りっきりでいることからくる寂、それに作者が立ち尽くしているという感じ、鹿の足跡の中にあるすべて、野生動物の存在が引き起こす驚異の念、鹿をびっくりさせないように静かにじっと立っている感覚。これらが3行目の夜明けの静けさ、落ちつき、爽やかさによって強められる。これらすべてを私たちは詩人の中に立って感じる。これらすべて、静けさ、雪、鹿、日の出が、この瞬間の詩人そのものだと感じるのだ。
次に引きたいと私が思うのは、ニコラ・マジーロフ(p. 28)、ティミャナ・マヘチッチ(p. 28)、ドゥシュコ・マタス (p. 29)による俳句である。これらについても、それぞれの句がもつ共鳴作用を考察することが可能である。
朝霜           Morning frost.
車に誰かが        Upon the car somebody
太陽を描いた       has drawn a sun

草のうえ         Boys run after a ball
少年らがボールを追う   on the grass –
老人はほほえみ      an old man smiling

曇った窓ガラス      Misty window pane
溝から聴こえてくる    I hear them on the gutter –
雨音           the raindrops
イヴァン・ナディロの句 (p. 33)
墓地で          At the cemetery
輝く黒大理石に      I’m mirrored in the shine
私は映る         of black marble
は、英訳では次のようにするとより効果的ではないかと思う。
At the cemetery
my reflection
in the black marble
言葉の簡潔さ・正確さのためだけではなく、“reflection”(反映‐内省)の語がもつ二重の意味のために。そうすれば、“mirrored” を使うよりも痛切さが増すからだ。
ボリス・ナザンスキーの好句 (p.35)、
今夜           tonight
蝸牛のあとをたどり    following the snail’s tracks
星々垣根を昇る      the stars are climbing the fence
は言葉が多過ぎると感じるので、衒学的になるかも知れないが次のようにしてはどうだろうか。
tonight
following snail tracks
stars climb the fence
このアンソロジーの中でも、ジュルジャ・ヴケリッチ=ロジッチの俳句(p. 53)は私のお気に入りである。
人形とテディーベアー   dolls and a teddy bear
歩道で待つ        on the sidewalk waiting
ゴミ回収車        for the garbage truck
人形やテディベアーの感情を想像することからくる痛ましさがもっともはっきりと出ていて、哀しさが伝わってきて私たちの涙を誘うものの、この句にはどこか微笑ましいところがある。寂の感覚が、作者と人形とテディベアーを結びつけている。とくに、作者とテディベアーを。人形の数が指示されていないので、テディベアーが私たちの関心の中心を占めるからだ。その後で、「なぜこんなふうに捨てられてしまったのだろう?」という疑問が湧いてくる。持ち主に何かが起こった、そのことを反映しているのだと取るべきか? それに/あるいは、すべてが使い捨ての近代社会では、無垢と想像力溢れる愛情が失われてしまっていることを、この人形とぬいぐるみは象徴しているのだろうか? それに加えて、存在のはかなさ・無常が、テディーベアー(子供時代)においてでさえ、はっきり表れるのだということを示してもいる。
吉田季生の3番目の句(p. 56)もまた、等しく(同じようなかたちで)イメージを喚起してくれる。
蟻地獄          On the sand
砂から睨む        the ant-lion staring
大宇宙          at the universe
ジュニア俳句コンテストの受賞者の中では、第1位の崎野有紗の句が現実と象徴を結びつけていて、力強いものだった。11歳という年齢を考えれば、とても成熟した質の高さである。
引用できなかった中にも楽しむことのできた句は多かった。このアンソロジーを読み、収められた句や論考の評を書く作業は、とても楽しかった。これは私にとってやりがいのある仕事でたくさんのことを学ぶことができた。他の読者も同様にこの書を楽しんでいただきたいし、私の言葉がその呼び水になればと願っている。繰り返しにはなるが、このアンソロジーに収められた俳句の英語訳の中には、原句に忠実でないものが含まれている可能性も充分にある。この点については、私の言語的限界があったことをご容赦いただきたい。

2006年2月23日、メルボルン、オーストラリア

参考文献
Robert Hass The Essential Haiku (Versions of Basho, Buson and Issa), the Ecco Press, New Jersey, U.S.A., 1994.
Makoto Ueda Basho and His Interpreters, Stanford University Press, California, U.S.A., 1991.
夏石番矢・世界俳句協会編『世界俳句2006 第2号』七月堂:東京、2006.

訳注
上田真によれば、Tokai Donto は「(1704-?) 俳人、芭蕉の発句654句の注釈書『芭蕉句解』(1769)の著者。信濃地方に生まれ伊豆半島へ移ったこと以外はあまり知られていない」(Ueda , 28)。

[1] 禅は道教と仏教(と僅かではあるが儒教)が組み合わさった結果として生まれ、日本文化には禅仏教として12世紀頃から移入され、受け入れられた。
[2]芭蕉は寂(さびしさ)を俳諧に不可欠の要素として、「さびは句の色なり」と述べている。英語話者の観点からするとこのさびしさというのは興味深い言葉である。仏教や道教における「独立」や「超脱」といった原理と興味深い関連があり、英語の「独りalone」という言葉は「単一 all one」というフレーズに由来するからだ。
[3] これらは私が読み研究してきた多くの翻訳に基づいた私自身による訳である。
[4] 英語では道教、老子、荘子それぞれに、中国語を英国風にした幾つかの異なるスペルが当てられている。