鎌倉作品の童話性をめぐって

Hideki Ishikura

石倉 秀樹

 鎌倉佐弓さんの俳句は童話のようだ、という印象がかねてからあったのだが、どのような工夫があって童話のようなのかが、最近わかった。ここではそれを述べたい。しかし、本題に入る前に、余談を少々。
 某日、本屋の店頭に日本語をめぐる文庫本・新書があまた並べられており、その中から二冊を買った。日本語がなぜ美しいかを説くらしきものと、日本語は学術に向かないとして、やがては滅び去るとするらしきもの。いずれも本の題からの推測。私は、漢詩を書く。私の漢詩は、とりあえずは「てにをは」と動詞などの活用語尾を省く日本語である。言語の合理性を考えれば、詩に「てにをは」はなくてもよい。そう考える私は、日本語は学術に向かない――さもありなん、と思う。そして、日本語がかりに滅びても漢語さえ残っていれば、詩を書くうえでの不自由は私にはない、と思う。しかしもし、日本語がほんとうはとても美しい言葉だとすれば、私は、ダイヤモンドの原石を捨てて人工のガラスのダイヤを拾って喜んでいるだけだろう。だから、日本語がなぜ美しいかを説くらしきその一冊は、私の脳を切り裂いて、私の言語音痴の病巣を白日に晒す鋭いメスであるのかも知れない。
 そこで私は、恐る恐る読んだのだが、その恐怖は我慢に変わり、ついには最後まで読むことができなかった。まず、その本に書かれている日本語が美しくない。どう美しくないかといえば、著者の考えのキーとなっている言葉のほとんどが漢語であるにもかかわらず、その漢語の用い方が美しくない。なるほどその読み方は日本流の音読であるし、多くは日本人が考案した和製成語であるのだから、日本語であると言えないことはない。しかし、大漢字文化圏ということがあるのであって、そのなかの一民族が考案したものであっても、言葉の構造が漢語である成語は漢語である。そういう漢語と日本民族古来の文法と平仮名言葉の混合体である今日の日本語の文章がなべて美しくない、とは私は思わないが、日本語の美を説くらしきその著者の和漢混淆の日本語は、私には美しくなかった。
 どういう日本語が美しいのかが、私にはよくわからない。だから、美しくない、というのは私の主観に過ぎないのだが、美しくないと思うもうひとつの理由に、著者の用語そのものの響きや構文の技術の問題とは別に、著作のテーマの立て方が精確さを欠いている、ということがあった。日本語に限らずどの民族のどの言語にも、美文と悪文があるだろう。だから、日本語はどう書けば美しい文になるのか、ということはテーマとなりえても、日本語でありさえすれば美しいという論は、畢竟、詭弁となるしかない。まして日本語で何ごとかを論じようとすれば、漢語をその論のキーワードとして使う。いにしえのやまと言葉にとって、漢語はカタカナ言葉である。そういうカタカナ言葉を多用しながらも、確かに美しい日本語はある、読んでそのように思える文章はあるのだが、漢語を含めカタカナ言葉とやまと言葉を、どのように混合すれば美しい日本語となるのか、それを明文化し、誰もが納得できる普遍的な説明にまで高めてくれる原理なり方法を、私は知らない。カタカナ言葉は、漢語に限らずの話として、どのようにハンドリングすれば、日本語の構造のなかで、美しく輝くのだろう。
 確かに美しい日本語はある。しかし、日本語という鏡があり、その鏡は過去にあまたの美貌の人を映したのであったのだとしても、その前に立てば、人は必ず美人になれるというものではない。そして、日本語をそういう一個の鏡だとすれば、人を美しく映す鏡は他にもあることを知るべきだろう。
 しかし、人は、それらの鏡を、好きなように選べるわけではない。言葉という鏡と人の間には、空いている所に立てばよいというトイレのそれとは違う、運命的な出会いがある。それらの鏡のいずれかに最初に姿を映したその瞬間から、人の多くは、自らの日々の美醜を、その鏡にだけ映していくことになる。
 世にバイリンガルあり。だから、必ずしも、終生一個の鏡に添い遂げる、ということにはならないのだが、詩歌にもまた、そういう鏡があると見れば、わが国の詩人・歌人・俳人には、終生鏡は一個と決めてかかる傾向が強い。現代詩を書く詩人らは、さしずめ鏡がなくても華粧は可能と信じている人らだが、歌人にとっては五七五七七、俳人にとっては五七五。そういう鏡こそが、自身の魂の営みを美しく映してくれるものと信じている人が多そうだ。普段は鏡を使わない現代詩人が短歌や俳句を詠むことは間々あるようだが、五七五の鏡を使う俳人が五七五七七の鏡の前に立つのは稀であり、その逆も稀。俳人・歌人のこの一所懸命的傾向は、一芸に秀でることを尊しとするわが国の文化ときっと無縁ではない。あれこれ齧って、あれもこれも中途半端になることは、美を能率的に磨くことを好む日本人にとっては、よろしくないとされているのだろうか。
 しかし、そういうなかでも、いろいろな鏡に自身を映すことを試みる俳人・歌人がおり、その努力が美しい日本語作品を生み出していることを、見落としてはならないだろう。日本語は美しいとする論は、俳句で言えば、五七五は美しいという論に比定できる。日本語の方が美しい、というのであれば、何語は美しくないのか、という問いにも答えなければならない。五七五が美しい、というのであれば、
  お多福豆ふふふと暮らせたらいいね
 という鎌倉さんの句は、
  うふふふとお多福豆は暮らしおり
 とした方が美しいといわなければならないだろう。果たしてそうか。
 本題に入る。鎌倉さんの句の全体を通覧すれば、鎌倉さんは五七五にこだわらない俳人であることはすぐわかる。しかし、五七五の句も作る。最近の「吟遊」からそれを拾う。
  葦の角ときどき膝を使いおり
  いちまいの布を乳房へ春の風
  君のそば桜草なら咲いていい
  真実はかすかに尖る木の芽吹く
  でこぼこは楽しからずや薩摩いも
  蔦と壁つかず離れず離れおり
  白髪のすこし羽化して夫婦とや
 全体としてみれば、鎌倉俳句は、およそ二十数字を最長とする短文のなかで考えうる無数の句読の海を泳いでいるのだろう。そして、その中でいっとう多いのは、その実、五七五の句読であるのかも知れない。だから、その作風は、非五七五であっても、反五七五ではない、といわなければならないのだが、それではどういうときに五七五となり、どういう場合は五七五にならないのか。
 五七五と非五七五を対比して考えることは、畢竟、俳句の定型を五七五と認め、それを前提に論を構えることになるだろう。それを鎌倉さん自身が喜ぶかどうかはともかく、五七五の句作りを専らにすることが、作句にどのような影響を与えているのかを、はじめに考えてみたい。
 そこで試みに、鎌倉さんの非五七五の作品を、五七五に作り変えてみる。つまりは、五七五の鏡の前で、化粧をし直す。
  聖橋かいわい夕日みしりみしり
  聖橋みしりみしりと夕日かな
  飛べるかしら蓑虫じっと考える
  蓑虫や飛べるかしらと考えおり
  溝へ雪みぞとて淋しがりやですから
  ○○や淋しがりやの溝へ雪
  部屋冷やしすぎ洗面器笑い過ぎ
  部屋冷えて笑い過ぎたる洗面器
  ハンカチ開く今日がきれいになるように
  ハンカチを開けば今日がきれいなり
  パセリひと呑み鍵かけて来たかしら
  パセリ食み家出て思う鍵のこと
  風の背中にあたまに肩に鬼やんま
  風の背にあたまに肩に鬼やんま
 どうしても五七五にならない非五七五の作品もあるが、このように五七五に作り変えることができる句が少なくない。これを見て、五七五に作り換えて俳句らしくなった、という人がもしいるとすれば、その人は、個性を消してある種定型的な夜の厚化粧の美貌に、視覚が麻痺してしまっているのだといわなければならない。その人は、非五七五作品を一律五七五に私が化粧し直した結果、句の質に大きな変化が生じていることに気がついていない。厚化粧は素顔を隠す。
 「聖橋かいわい夕日みしりみしり」を「聖橋みしりみしりと夕日かな」。これによって、「夕日」が主語となって機能していた童話的な世界が、作者が観察者となって眼前の事象を描く写景の作に成り下がってしまっている。蓑虫もしかり。洗面器もしかり。それぞれ主語として笑い、考えていたのに、五七五の世界では、観察者の視線の客体になってしまう。
 ここで、詠まれるべき対象が観察者の視線の客体となる、ということは、少々わかりにくいかも知れない。そこで、小林一茶の童話的な次の二句。
  雀の子そこのけそこのけお馬が通る
  やせ蛙まけるな一茶これにあり
 これらの句では、言葉を発しているのは雀の子でもお馬でもやせ蛙でもない。一茶である。しかし、
  飛べるかしら蓑虫じっと考える
 じっと考えるのは「蓑虫」。
  溝へ雪みぞとて淋しがりやですから
 淋しがりやは「溝」。この句、私は「溝」です、その「溝」に雪が尋ねてきてくれてうれしい。なぜうれしいかといえば、私は「淋しがりや」なのです、と言っているのだ。
 ここで、童話的とは何かの秘密のひとつがわかる。言葉は本来、人間のものであり、人間以外の者が言葉を発することはない、それが干からびた大人の世界の言葉である。しかし、童話では、人間以外の動物や草木、太陽や風までもが言葉を発するのである。それらが、言葉を発することで、人間のように振舞う。
 この、人間でないものが人間のように振舞う、ということが、童話的であるのだ。上掲一茶の句、雀の子もお馬もやせ蛙も、言葉を発してこそいないが、人間のように振舞っている。鎌倉俳句の童話性はしかし、自ら言葉を発するところまで、踏み込んでいる。「飛べるかしら」は蓑虫の言葉。「淋しがりやですから」は溝の言葉。
 「ハンカチ」の句、「パセリ」の句は、作者自身が主人公として句の中で生き、自ら発語しているものであるだろう。しかし、それを五七五に作りかえると、その生き生きとした動きが凍りつき、作者自身の客体化が起こる。作者はもはや句の中で生き、声を出すのではなく、「私」を見るもう「ひとりの私」という作者の立場に身を移し、自身を観察し、自身の思いを三人称化して、ひとごとのように叙述する。「風の背中」の句も、そういう観察の句である。しかし、観察の対象となっているものへの感情移入あるいは同化の度合いが、鎌倉作品の非五七五は厚く深く、私の五七五は浅い。
 どうして私の五七五は浅くなるのか。これに対する答えとして、はじめに五七五にしたのが私であるということがあるだろう。鎌倉さんと私の言葉の才の差。私が五七五の鏡の前に一人で立つとき、その鏡は、過去に映したあまたの美貌、つまりは先人の佳作の息遣いを私に吹き付けてくるのだ。私はそれを、息が臭いといって、手で払えない。酒の香りを嗅いだかのようにすぐに酔ってしまう。それによって、私自身の読句の経験が蘇り、句に詠むべき事象とそれを観察する私という二元対峙の作句環境が整ってしまう。だから、生き生きとした素顔の鎌倉さんの作品を私が五七五に化粧し直すと、視覚が鈍感な人には美人に映るという誤魔化しの厚化粧となる。先人の佳作はその多くが、作者と詠まれる対象という二元対峙のもとで詠まれている、だから、それらを読めば、作品に詠み込まれた句境が、読者の心に対峙することになるのだ。鏡の前に素顔で立つことは難しい。五七五の鏡の前に立てば、五七五の美人に擬態するということが起こる。
 お店のナンバーワンの女性が普段立つトイレの鏡に私は探りを入れ、それを見つけ、その鏡の前に立ち、ナンバーワンの化粧を真似る。私の五七五は、それをするのだ。しかし、これは、私だけがしていることだろうか。
 作者と詠まれるべき対象の二元対峙は、言葉を発する主体が、句の中にあるのか外にあるのか、ということでも整理できる。句に詠み込まれた事物が声を出す、そのような仕組みで詠まれた俳句が、これまでにどれだけあるのか。多くの句の言葉は、句の外にいる作者によって発せられる。ここでは、句に詠まれた事象は、作者の言葉によって読者に提示される客体であって、言葉を発する主体ではない。
 言葉を発する主体が、句の中に身をおいているのか、外に身をおいているのか、という問題は、俳句と和歌との比較にも見ることできる。俳句に先立つ和歌が好んで扱い、俳句があまり顧みない詩題に、相聞と挽歌がある。相聞は、生きているある特定の個人に対する語りかけであり、挽歌は、死んでしまったある特定の個人に対する語りかけである。alive or deadのいずれにしろ、歌を詠む「我」は、歌を贈る相手である「汝」に対して、心からの言葉を発するのである。そのようにして詠まれる歌の発語者は、わが身をその歌のなかに置く。歌は、「我から汝」への語りかけであるからだ。
 しかし、その「語りかけ」の形式であった五七五七七を継承しつつも、それが連歌に発展すると、その発句である五七五は、「我」から「汝」ではなく、「我」から「汝ら」への語りかけに変質する。「汝ら」は、とりあえずは、その連歌のために参集した不特定の多数の「汝」である。ここでは「汝」の抽象化が進み、「汝」の特定性が薄れ、言葉に占める「汝」の重要性が希薄になっている。
 特定の「汝」を想定しないで発せられる言葉とは、つまりは、独語だ。独語であるから、そこでの言葉には、作者の思いを伝えるための声量が要求されず、「我」はかくあり、「汝」は如何?という個別具体的な対話性がない。相聞と挽歌という特定性のなかでありつつも対話性を保持していた和歌は、連歌となったその瞬間に、実は大きく変質していたのだ。連歌は、発想と発想の対比の妙ではあっても、「我」と「汝」の対話ではない。「我と汝」性が薄められた境地での発語は、対話性をいくらかは含む独語と独語の照応に留まる。
 そして俳句は、その発句が発展したものなのだ。だから、ここで注意すべきは、和歌と俳句の言葉における「我と汝」性の濃度の差は、五七五七七と五七五の字数の差にあるのではなく、言葉をどう扱うかという和歌と連歌の文化の差にあるのだ。同じように五七五七七を単位としつつも、和歌における相聞と挽歌の言葉は、「我」から「汝」への伝達を目的とするが、連歌における言葉は、「我」と「汝ら」との共同作業を目指す。そこにおける「我」と「汝」は、共同作業という無名性のなかへ溶け込んでいき、ついには消滅するだろう。というより、発句を詠む者には、「汝」が誰であるかを特定して詠むことは許されないから、「我」と「汝」の特定性を超える、普遍的だが曖昧な言語環境のなかで、言葉をハンドリングすることが求められる。
 そこで、五七五七七という音数に対話性を強める機能があり、五七五という音数にその対話性を薄める機能があるのではなく、和歌から連歌への発展が、「我と汝」の対話性を薄めたのだといわなければならない。そして、連歌における発句の「汝」を薄めた非対話性が、俳諧連歌の発句に継承され、その発句が俳句に発展したという文化の中で、五七五の鏡は、先人の、語りかける汝がいないという境地での多くの佳作を映してきた。だから、その鏡の前に立つ後続の俳人たちは、五七五に作るときは、句の言葉が、汝に語りかけるという対話性を強めてはいけない、という息を吹きかけられる。
 鎌倉さんの五七五の句
  雀ちゅん仮の世なればちゅんとのみ
 五七五の鏡の前でこれを読めば、鎌倉さんという作者は句の外にいて雀がちゅんと鳴いているのを観察し、「仮の世だからちゅんと鳴くだけか」と独語している、そういう読み方をするだろう。しかし、その読み方は、俳句という伝統文化のなかでのローカルな読み方であり、日本語という鏡が、そう読めと読者に普遍的に命じているものではない。伝統文化のなかでのローカルな読みだけではなく、日本語全体にも通じてこれしかないという読みにするためには、たとえば芭蕉の「古池や蛙飛びこむ水のをと」になぞらえて
  仮の世や雀鳴きおるちゅんとのみ
 と詠むべきだろう。
 だから、前述の読みは正しくない。鎌倉さんの句の正しい読みは、雀がちゅんと鳴いた、どうして「ちゅん」?雀いわく「仮の世ですからちゅんだけでいいでしょう」であり、「仮の世なればちゅんとのみ」の発語者は、雀である。
 何が原因かについては、俳句という言語文化のなかでの風習が多くの俳人を洗脳しているからだ、とするのがよさそうだが、多くの俳句が、句に詠み込むことがらを客体化しているという事象がある。また、一方で、多くの俳句は、五七五で作られているという事象がある。そこで、句中のことがらの客体化は、五七五という句読のリズムと深い相関関係にあるのではないか、と思えてくる。とすれば、五音、七音には、どういう秘密が隠されているのだろう、とも思う。
 日本語は二音を単位として拍を取るということが説かれている。そこでは、五音は、二・二・一となって、最後の一は「間」あるいは「休止符」を後ろに置くことにより拍の足りない部分を補うという。七音は、二・二・二・一、それに「間」。これを図示するに、有音を□、「間」を■として五七五を見れば、その十七音は、次のとおりは十拍になる。
 □□ □□ □■ □□ □□ □□ □■ □□ □□ □■
 五音を詠んで一休み、七音詠んで一休み、五音詠んで最後に余韻。
 余談になるが、日本語が二音を一単位として拍を取るという説は、漢詩を作る私には、とてもリアリティがある。漢詩では、それを中国語で読めば、昔も今も漢字一字で一音節である。それが日本語の読みになると、多くの漢字一音節が、日本語二音となる。二重母音は分解されて二母音となり、韻尾の-ngは「う」あるいは「い」と母音化し、-nは「ん」になる。加えて日本語の「ん」は、中国語の-nに対応しているが、音の上ではむしろ-ngである。また、現代中国の普通話では消滅してしまったが、漢音では存在した-kは「く」あるいは「き」、-fは「ふ」、-tは「つ」と発音される。そうやって、日本人は、一音節の漢字を二音一拍に読み替えてしまうのだ。
 本題に戻る。五七五については、二音一拍の他に、上五下五はゆっくり、中七は早めに読む、ということも説かれている。その結果、五音と七音の発声に費やされる時間は、音数の多少に関わりなく、その長短がほぼ等しくなるという。確かに私も五七五を読み、あるいは詠むときに、発声的には緩・急・緩の心持ちで詠み、時間的には上五中七下五がいずれも同じ長さになるように音読する。あえて言えば、時間的には中七がいちばん短いかも知れない。
 ここから、始めはゆっくり、中さっさ、終りもじっくりという作句のリズム、あるいは心持ちが、その後の句境を支配するのではないかと思えてくる。ゆっくりと詠み始めて、さらに一拍置く。このゆったり感が、詠むべき事象からある種余裕をもって身を引く姿勢=対象である事物から距離を置いて観察する姿勢に転化し、句に詠み込む事象の客体化、を呼び覚ますのではないか。
 そこで、鎌倉作品を再度見てみると、上五が六に詠まれ、あるいは七と出る句が少なからずであることが、興味深い。上五はその句末に「間」を置きやすいが、上六となった瞬間から、その「間」をとることが難しくなる。そこで、上六を読む声は、一気呵成に中七以下へと走る。
  沼を埋める椿の過去は数えきれぬ (六七六)
  金輪際大地となりぬ なりたかったか(六七六)
  「暖かいね」わたしの返事はハミングで(六八五)
  雲には雲の言い分あらん曇り空(六七五)
  一つくらいサイダーの泡下りて来い(六七五)
  辿りつけぬどんなに薔薇を抱えても(六七五)
  朝始まる群青色の糸切れて(六七五)
  母は泉こころおきなく水飲んで(六七五)
  アメノウズメ踊れば団栗も踊る(六四八)
  じゃが芋から見れば単純おむすびころり(六七七)
 上掲「じゃが芋」の句は、六七七ではなく九四七とすべきか。いずれにしても、上六には、中七へ向けての一気呵成性がある。五七五の緩急緩が、六七五では急急緩に、六七六では急急急になる。その結果、句を読む声は、外へ向けての声量を増す。
 ここで、五七五からみれば破格の句作りが、五七五に較べ声量を増すということは、発語がそれだけ文語から口語に近づき、読みが黙読から音読に近づく、ということに注意が必要であるだろう。音読に近づけばすなわち童話、ということに直ちにはならない、しかし、より生き生きと童話的であるためには、文語から口語へ、黙読から音読へと歩を進めていかなければならないだろう。鎌倉さんの俳句の童話的な成果は、人間以外の事物にも人間と同等の発語の権利を付与しているということに先端を行く特長があると思うのだが、そういう句作りは、その必然として、句が声量を増すことを要求する。だから、言葉を媒介として、もの言わぬ事物に語りかける。また、もの言わぬ事物が、言葉の力で人間に語りかけ、働きかけてくる――この童話的雄弁は、五七五の定型を嫌うかのようだ。
  夕焼雲からも二人が見えるはず
  さるすべり無数とは不意にうずまく
  蝸牛どっこい自転車が聳ゆ
  作品がすべて蒲公英は根がすべて
  どうぞお構いなくと守宮がのっしのっし