スロヴェニア紀行

夏石 番矢

スロヴェニアと言われても、チェコの隣のスロヴァキアと混同する読者が多いのではないだろうか。私も実際に訪れるまで、スロヴェニアについて何も知らなかったも同然だった。ところが、俳句が縁となり、二〇〇〇年と二〇〇一年の二度訪れることになった。
イタリアの東隣、旧ユーゴスラヴィアの西端にあるスロヴェニアは、実に遠い。日本からフランクフルトへの直行便を降りて、首都リュブリャーナへ向かうアドリア航空の小さな飛行機に乗り込めるまでの約六時間という待ち時間は、日本とスロヴェニアの地理的距離の遠さよりは、その政治的距離の遠さのバロメーターだろう。アメリカとロシアの大使館が閑静な中心街の道を挟んでにらみあっているリュブリャーナには、日本大使館がない。

なにかが日本に似ている国の橋わたる

実際に訪れてみたスロヴェニアは、フランスやドイツやイギリスなどの西ヨーロッパよりずっと、日本人である私にはなじみやすい。それほど根拠があるわけではないが、日本の何かをスロヴェニアの事物や人々は思い出させる。スロヴェニアに住んでいる友人たちには、自分たちの先祖と日本人の先祖は共通だと考えている人もいる。その友人たちと今度はいつ出会えるだろうか。

シュコフィアロカという中世の面影が濃い都市は、スロヴェニアの北西部にあり、スイスやオーストリアにも近い。文献には十世紀から登場するという古い町。この町を東西に流れるソラ川の丸石だらけの河原におりてみた。日本の田舎の川にひさしぶりで戻ってきた気がする。流れが澄んでいる。妻や小学生の娘もほっとした表情をしている。日本をさらに思わせたのは、川べりの白壁の建物だった。四角い木枠の窓が横に並び、日本の信州が目に浮かんできた。
さらに、この町の一軒の商店の窓ガラスに、日本の鬼にそっくりな顔がなぜかステッカーとして貼ってあった。
ソラ川に架かる石橋の真ん中には、聖ヨハネ像が安置されている。町の広場には、一八世紀のマリア像が据えられている。これらが遺物ではなく、生きた宗教装置であることは、肌でわかる。シュコフィアロカには、息苦しくない敬虔な雰囲気が漂っているのである。聖母マリアを祀った道端の祠には、ろうそくや花が絶えない。この聖母の右手の数珠(ロザリオ)の大きさは、救いの心の広さを示しているのだろうか。この世の悲しみの大きさを物語るのだろうか。
町の八百屋には、大きな赤いピーマン、大きな黄色いピーマンが、網に入れられて置いてある。その一個一個の巨大さ。また透明感豊かなつややかさ。

巨大なピーマン透明な川マリアとともに

シュコフィアロカで一泊したホテルの売店には、日本のなまはげのように仮装した人物像の陶器が飾られていた。私はどうしてもこれを手に入れたくなってしまった。頭に鹿の角、あごに鶏のとさか、全身に羊の毛皮、こういういでたちの仮装は、冬の終わりを告げる祝祭の主役、春の王を現わしているのだろう。頭に牛の角が二本だったり、赤い鬼の面をかぶったりといった地域によるちがいがあるようだ。スロヴェニアでは、クルント、クレント、コラントなどと呼ばれている。岡正雄がその著『異人その他』で紹介したオーストリア・アルプス地方の鬼、クランプスにもつながりがあるだろう。ユーラシアを横断した人々と文化に、しばし思いをはせる。
最初のスロヴェニア行きの目的は、シュコフィアロカよりさらに西、イタリアとの国境に近い町、トルミンで二〇〇〇年九月はじめ開催の世界俳句協会創立大会参加のため。シュコフィアロカから直接トルミンには行かず、イタリアとの国境に先に向かった。その国境付近の青空の純度。切り立つ山々の緑の新鮮さ。

崖なす緑の上にはただ放心の青

トルミンに着いたのは九月一日の午後。小さいが美しい町だ。ホテルの廊下で、セルビアから参加の俳人にはじめて出会う。温和そうなドラガン・リスティッチ氏とひげの濃いゾラン・ドデロヴィッチ氏である。荷物を置いてまもなく、近くのトルミンカ渓谷へ吟行に向かう。ここからが世界俳句協会創立大会のプログラムである。水が透きとおり、水しぶきが真珠のような小川を挟むのは、石灰岩の断崖。日本からの二十人を含む、十二か国およそ六十人の俳人が、断崖の裾を縫う小道を無邪気に歩く。渓流が五色に見えるところもあり、まるで別天地に迷い込んだ心地がする。

すきとおる トルミンカの水玉見えるまで

二日に講演を英語で行なったあと、大会会場を抜け出し、主催者でトルミン在住のディミタール・アナキエフ氏の運転で、深い山奥に立つ教会へと、二人だけでドライブした。石灰岩の石ころだらけのでこぼこ道を、よくここまで登り詰めたと感心する運転ぶり。

天(あま)翔(が)けるドライブで木の教会へ

無事到着したのはいいのだが、最近起きた地震で教会正面の石段は崩壊している。脇の斜面を徒歩で登った。地味な外観とは対照的に、内部の装飾は極彩色で、密教寺院にも近い感じがする。第一次世界大戦で亡くなったオーストリア=ハンガリー軍の兵士の慰霊のために建築された聖霊教会だと知る。

緑の斜面の岩のうしろに戦死の記憶

世界俳句協会創立大会は、九月三日まで、歓迎パーティー、俳句にちなんだ音楽演奏、俳句朗読、講演、シンポジウムなど、にぎやかに楽しく行なわれた。忘れられないのは、二日の夜の荒れた天候と泊まったホテルでの結婚式。

霧・雨・雷鳴そして夜通し祝婚歌

若いスロヴェニア人カップルの結婚と世界俳句協会の創立が重なったのである。この結婚式は、他の宿泊客を少しも気にすることなく、悪天候をものともせず、夜明けまで正々堂々と続けられた。

二度目のスロヴェニア行きは、ヴィレニッツア詩歌祭参加のため。これは、スロヴェニア政府がかなり力を入れている国際的行事である。二〇〇一年九月五日から九日までの全日程、私は日本人としてはじめて参加した。ヴィレニッツアとは、スロヴェニア北西部というよりは、アドリア海に近い山間部にある、大きな地下洞窟の名前。毎年、その洞窟内部で、中欧の詩歌の授賞式が行なわれ、シンポジウム、ワークショップ、朗読などが付随する。今年の大賞は、エストニアのイアーン・カプリンスキー氏。この白髪の田園詩人は、こんな俳句を、私にエストニア語と英語で書いてくれた。

林檎はまだ
林檎の木を
覚えているか

カプリンスキー氏に付き添うエストニア女性は、遠くから見ると、日本人にまちがうほどだ。本人に聞くと、アメリカ・インディアンに似ていると、しばしば言われるという。
七日は参加者全員、首都リュブリャーナに移って、シンポジウム「文学は世界を救えるか」を開く。私は円卓に座り、アメリカ中心の現在の世界を批判した。これに好意的だったのは、意外にもアメリカの詩人たち。この四日後に何がニューヨークをはじめとしてアメリカで起きるかは、誰も予想できなかった。
この日の夕方、半月が夜空に昇り始めるころ、リュブリャーナ城で、各国の詩人にまじり、俳句朗読を行なった。そのごほうびに、美しく気丈そうな、女性リュブリャーナ市長から、深紅の薔薇をいただいた。このビロードのような薔薇が完全にしおれてしまうまで、私は自分の泊まる部屋の洗面所のコップに挿して飾った。

九日に、ヴィレニッツア詩歌祭が終わり、有志がアドリア海の港町、トリエステで開催の、sidajaという詩のフェスティバルに参加することになっていた。
スロヴェニアからイタリアへ入る国境で、検問がことのほか厳しい。マンガーニという若いイタリア詩人が係官を説得して、国境を通過したあと、朗読まで時間があるので、トリエステの町をタクシーで一巡した。ローマ遺跡、世界史で習ったトリエステの公会議で有名な教会などにも立ち寄った。アドリア海の色は、南仏で見た地中海より、かなり濃く感じた。最も印象的だったのは、夕日に照らされて、勢いのいい海辺の糸杉。三本並んで見事に育っている。

照らされて吹かれてトリエステの糸杉

朗読の会場は、劇場。即興のBGM付きで、日本語、英語、フランス語、そして少しだけイタリア語で、俳句朗読をすませた。これまでで一番気持ちよく朗読できた満足感を胸に、その日の夜、スロヴェニアへ戻ろうとした。国境での検問がさきほどよりずっと厳しくなり、三十分も待たされた。そのあいだ、顔写真満載のファイルを係官がしきりにめくっていた。同行してくれたスロヴェニア女性は、そのとき私がかけていたヴェルサーチのサングラスのせいでマフィアにまちがわれたと言っていたが、ほんとうの理由は、運命の九月十一日のあとで判明した。国際テロの情報がすでに回っていたのだろう。
それでも、国境での三十分の緊張がほどけ、山間の道を数時間ドライブした。かなり円くなった月が、山々を神秘的に照らしている。

月を追う国境より山上教会へ

その後の数日は、前年に世界俳句協会創立大会が開かれたトルミンで過ごした。
九月十一日の午後、リュブリャーナの中心街にある、スロヴェニア作家協会事務所で、いくつかの行事をこなすことになっていた。アポカリプサ社で刊行されたスロヴェニア語訳『地球巡礼』のプレス・コンフェランス、俳句朗読、ラジオとテレビの取材。この日、時間がたつにつれ、会場付近は異常に静かになった。それもそのはず、あの米国同時多発テロが起きたのである。

ニューヨーク夕日に遊ぶほこり恐ろし

しかも、スロヴェニア作家協会事務所とアメリカ大使館は目と鼻の先。厳重な警戒が敷かれ始めたのである。
スロヴェニア作家協会事務所は、古い木造の館を使用しており、その一室で米国同時多発テロを知り、いあわせたスロヴェニアの友人たちと、今後の世界はどうなるかを語り合った。このときのような、友人との親密で濃密な時間は、その後、どこでも体験していない。

夏石番矢『世界俳句入門』(沖積舎、2003年)所収。

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