(2001年6月3日、ドイツ、フランクフルト)
夏石 番矢
本日は、第七回ドイツ俳句協会会議にお招きくださいまして、まことにありがとうございます。
六月は、日本では、じめじめした梅雨という雨季ですが、ヨーロッパでは、さまざまな花が咲き乱れ、晴天に恵まれ、昼の時間の長い、一年中で最もすばらしい季節であります。こういう時候に、この会議を設定されましたことに、ドイツの皆さんの俳句への深い愛情を感じ取らせていただきました。
また、今回でこの催しが、七回を数えるにいたりましたことに対して、ビュアシャーパー会長をはじめとするドイツ俳句協会の方々、またシュヴァルムさんを旗頭とするフランクフルト俳句サークルの方々に、心からの敬意を表明したいと存じます。
さて、俳句はその生まれ故郷日本のみならず、ご当地ドイツはもとより、世界各国に広がりつつあります。
近年の主な国際的な俳句会議を列挙しますと、1999年七月、ノストラダムスの予言ははずれ、地球は破滅せず、日本の首都で、国際現代俳句シンポジウムが開かれ、昨年四月にはアメリカで、グローバル俳句フェスティヴァルが、また八月にはイギリスで、世界俳句フェスティヴァル2000が、九月にはスロヴェニアで、世界俳句協会創立会議が、いずれも成功裏に開催されました。
これらの会議を通して、俳句は、それぞれの文化に根ざし、それぞれの言語の特質を生かしながら、より新しい可能性をはらんだ短詩として、考えられるようになってきています。
この二月にフランスのブルターニュで行われました、雑誌「hopala!」主催のフランス語、ブルトン語、ガロ語(gallo)による俳句コンテストには、文学的に質の高い俳句が寄せられ、フランス語子供部門の第一位は、1988年生まれの、エリーズ・タンギー(Elise Tanguy)さんという名前の少女の、
Dix mille ans plus tard
Les mégalithes attendent encore
Le soleil et la lune
一万年後
巨石はなお待つ
太陽と月
に与えられました。審査員を務めました私も、このコンテストの総責任者であるアラン・ケルヴェルヌ(Alain Kervern)氏も、予想を超える成功に驚き、かつ満足しています。
ちなみに、ケルヴェルヌ氏も、フランクフルトの現代俳人マルティン・ベルナー氏も、国際現代俳句シンポジウムのパネリストでした。
ところで、巨石というテーマが、この俳句コンテストの課題の一つでしたが、ここにコンテストの成功の秘密が潜んでいます。
ケルト人以前の先住民による巨石遺跡が、ブルターニュのあちこちに残っています。最も有名なのが、カルナック(Carnac)にいくつかある巨石列(alignement)です。
この巨石列は、花崗岩でできており、太陽や月の昇る方角と沈む方角に合わせて、メンヒルが並べられています。
現代人は忘れがちですが、巨石は私たちよりずっと長い一生を生きているのです。
ケルト時代のヨーロッパでは、大きな木や大きな岩、水の湧く泉、太陽や月、大地などが、崇拝されていました。アニミズム的信仰です。エリーズ・タンギーさんの俳句は、古代ケルト人にも通じる、巨石への恐れと尊敬の思いを、短いことばで印象的に描き、私たちが宇宙内部に短い生涯を送る生き物だということを、感動を伴って教えてくれます。
19世紀ドイツに花開いたロマン主義は、巨石や大樹を描いたカスパル・ダーフィット・フリードリッヒ(Caspar David Friedrich)の絵画が端的に示すように、ゲルマン的伝統とともに、ケルト的伝統を再発見したとも言えましょう。
他方、私たち日本人には、タンギーさんの巨石への畏敬の念は、とりわけよく理解できます。と言いますのも、現代日本においても、大きな岩が神として崇拝されたり、古木が神の樹木として尊敬されたりしているのです。日本の神社をご覧になった方には、日本でのアニミズム的伝統がおわかりいただけるでしょう。
ブルターニュ地方では珍しくない巨石から、ブルターニュ地方にだけ理解される俳句が作られたのではなく、私たち人間に共通する宇宙的な思いが宿った世界的、宇宙的俳句が生まれたことに注目したいのです
最高の俳句には、身近なものを大宇宙へと広げる不思議な力がそなわっていると、タンギーさんの俳句は静かに語っています。
アニミズムは、未開人の劣ったメンタリティではなく、多様で矛盾に満ちたこの世界を包容力豊かに受け入れることのできる、二十一世紀の多元的文化に必要とされる人類文化の共通基盤だと、私は考えています。
とくに俳句のような短い詩が、いきいきとした世界を作り出すには、大きなものから小さなものにまで、深い共感をもって描くことが大切となります。それはまさしく、アニミズム的共感でしょう。
昨年私は、世界俳句フェスティヴァル2000開催を記念して、小さい国際俳句アンソロジーを編集し、出版してみました。18か国85俳人の俳句を、そこに集めることができました。
そのアンソロジー『多言語版 吟遊俳句2000』(Multilingual HAIKU TROUBADOURS 2000)に寄稿してくださった、フランクフルトの俳人の俳句のうち、マルティン・ベルナー氏の、
kann einen rühren
das magere einsame
Schneeflöckchen
私に触れられるだろうか
やせたひとりぼっちの
小さい雪の華
に、微小の雪の結晶への、深い共感と愛を見つけ、読者としての喜びを感じました。
また、エリカ・シュヴァルムさんの、
Sonnenfinsternis.
Ein Wasserfloh spaziert
über den Algenteich.
日食や
ミジンコ歩く
藻の池を
に、不思議な宇宙を発見できました。この「水蚤」(Wasserfloh)は、肉眼ではよく私はまだ見えませんが、なにかとても愛らしい小生物として、心に残るのです。
生け花を通じて、日本的アニミズムをシュヴァルムさんは、学ばれたのかも知れません。ときには、竹や蘭を残酷に切り刻みながら、シュヴァルムさんは、竹や蘭に第二の生命を与えているのでしょう。
季語を入れて、必ず5・7・5音でなければ、俳句ではないという、狭くて古い俳句の概念は、日本でもくずれつつあります。
全世界に通用する新しい俳句の定義はあるのか、という大問題が、21世紀はじめの私たちにまさに提出されていますが、それは、ドイツ俳人の皆さんの俳句観を、よくうかがってから、議論したいと思います。
俳句を作り、味わう、楽しさを損なわない、建設的議論が、この会議において十分行われることを、大いに期待しております。
ご清聴ありがとうございました。
夏石番矢『世界俳句入門』(沖積舎、2003年)所収。