夏石 番矢
世界俳句には、解決容易に見えてかなり解決困難な問題が多くある。この困難さには、私たちの生命そのものが深く関わっている真実が、しばしば含まれている。たとえば、単純かつ大きな疑問を挙げてみよう。すなわち、すべての人類は、「アフリカのイヴ」と呼ばれている唯一の共通祖先としての母親を持つだろうか、という疑問である。
世界俳句の共通基盤を議論する前に、人類が唯一の祖先としての母親を持つのか、複数の母親を持つのか、と考えてみるのも、無駄ではないだろう。むろん、私は人類学者ではないので、この問題に決定的な結論をもたらせない。けれども、もしも私たちが唯一の祖先として「アフリカのイヴ」を持つのなら、世界俳句の共通基盤を探し出すのは簡単になる。あいにく、もしも私たちが、「アフリカのイヴ」「アジアのイヴ」など、祖先として複数の母親を持つのなら、私たちの共通基盤を見つけ出すのは、それほどたやすくなくなる。それにもかかわらず、ある種の行動(性行為)を行ない新生児を産み出すことにより、遺伝子を交換できる程度に、私たちには共通性がある。いずれにせよ、二次的な相違を超えて、私たちはある程度、共通の何かを分かち持っている。
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ところで、人間のみならず、他の動物も、眠っている夜に、一回もしくは何回か夢を見る。睡眠に加えて、夢を見る行為も、生きている動物には必要不可欠である。おもしろいことに夢は、世界中のたくさんの神話、伝説、民話において、重要な役割を果たしている。たとえば、古代エジプト人は、夢を神の啓示と考えた。後世の、ユダヤ教世界とともにキリスト教世界では、だれもがソロモンの夢やヤコブの夢を知っている。日本神話において、高倉下の見た夢が、未来の神武天皇が日本を統一するのを高倉下が助けるようしむけた。私がここで言及できなかった、他の国々の神話伝説に現れる多数の重要な夢を、おそらく皆さんは挙げることができるだろう。私は知的な現代人に古代へ帰れと勧めているのではなく、夢が人類にとって常に大切であり続けた事実に注目してもらいたいのである。
いま私は、「夢」ということばが核になった現代俳句に関心を抱く。ウィリアム・J・ヒギンソン著『俳句世界』(1996年刊)の「通年」という章から、アメリカの一句を抜き出してみよう。
restless dream
a game of hide and seek
in the graveyard
Joanne Morcom, USA
落ち着かない夢
墓場での
かくれんぼ ジョアン・マーコム、米国
私がこの俳句に魅せられるのは、「落ち着かない夢」という表現が、私たちの人生と同じだけの真実味を持っているからである。
相原左義長と私が、世界俳句フェスティバル2000とこの世界俳句協会創立会議を記念して編集した『私たちの夢』(2000年)に集まった現代日本俳句のなかで、次の例が「夢」ということばを含んでいる。
仙人掌の棘の数ほど夢をみる 相原 澄江、日本
ゆめの中いろんなかたちがうごいてる 乾 佐伎、日本
相原澄江は、自らが見た多くの苦い夢を熟知している。幼い日本の少女、乾佐伎は、自分の見たこんがらがった夢に驚いている。たしかに、二人の日本の女性は、句作しながら、それぞれ夢の真理をつかまえるのに成功している。
最近私は、二人の俳人、米国のジム・ケイシャンとスロベニアのディミタール・アナキエフから、国際俳句雑誌「吟遊」あての十数句の俳句を受け取った。次の二句は、とりわけ夢に焦点を絞っており、私の心に深い感動を引き起こした。
Mlada trava… The young grasses…
Planina krvari iz lema The mountains bleeds from a helmet
Punog snova Full of dreams
Dimitar Anakiev, Slovenia
若草
夢一杯のヘルメットから
山の出血
ディミータル・アナキエフ、スロベニア
Into my dream
The gentle rocking
of the ship
Jim Kacian, USA
わが夢のなかへ
船の
やさしい振動 ジム・ケイシャン、米国
芭蕉の有名な「夏草や」をほのめかしながら、ディミータル・アナキエフは、悲惨な戦死者をたくみに表現している。この俳句では、「夢」ということばが、戦争によって抹消された将来性ある夢を、私たちに迫真的に提示してくれる。旧ユーゴスラビアでの自分自身の戦争経験に基づき、アナキエフはこの句を作ったのだろうと推測する。彼の俳句はたしかに現実的だが、いま最も重要なのは、彼の俳句の普遍性である。旧ユーゴスラビアの戦争の具体的な細部を知らない人でも、このスロベニアへの避難者の俳句のおかげで、戦争の残酷な真実が理解できる。アナキエフの俳句において、戦争の過酷さと風景の美しさが、同時に強調された。言うまでもなく、これは決してプロパガンダ的ではない。
トルミン周辺の史跡を訪れてのち、百万人以上の兵士が死んだ第一次世界大戦の古戦場からまた、アナキエフが詩想を得たと推測する。
これらの若い戦死者の冥福を祈るため、私は一句を捧げたい。
緑の斜面の岩のうしろに戦死の記憶 夏石 番矢
夢に触れた、もう一つの感動的な俳句を、『そらの破片-防空壕からの俳句』(1999年)というアンソロジーに見つけることができた。
US-bomb Us-pakao
U de ijim snovima
Za to Srbija?
US-bomb US-hell
in children’s dreams
why Serbia?
Miroslav Klivar, Czech
アメリカの爆弾、アメリカの地獄
子供たちの夢のなかに
どうしてセルビアなの
ミロスラフ・クリヴァール、チェコ
この第二行で、「夢」ということばは、引用した俳句に登場する全部のことばのすべての相互関係の中心として働いている。さらに正確には、「子供たちの夢」は、戦争に不幸にも巻き込まれた人々のさまざまな悲惨さを、危機的に確認している。
東南ヨーロッパで作られた、これらの二句とは対照的に、ジム・ケイシャンのスマートな例句は、かなりさわやかだ。彼の「夢」は、船の癒しをもたらす動きによって、やさしくそしてのびのびとしたものになる。
このように、いくつかの言語で書かれた俳句をとおして、夢の多様で本質的な諸側面へと、私たちは到達できる。「夢」という単語、つまり無季のキーワード「夢」は、 世界俳句をすぐれて具体的に説明してくれるのである。
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一つの俳句のなかで、二つの対立する原理が常に働いている。一つは、短さ、瞬間性、集中性。もう一つは、時間の持続性、連続性、流れの起伏。最初の原理の最も重要な要素は、季節に関係あるか、あるいは人間や宇宙のより根元的なことがに関係あるかを問わないキーワードである。すべての日本の季語を無価値だとして捨てることを、私は望んでいない。けれども、私たちが本当に世界俳句の時代に突入するのなら、時計にとってのグリニッジ時間のような、俳句の絶対的な中心は存在しない。
私たちの地球においては、世界俳句にとっての標準時や標準気候などありはしないのである。さまざまなローカルな特色を世界俳句のなかに含め入れながら、私たちはそれらの特色を十分楽しんでよいのである。そして、そのような個別性があるとしても、俳句が散文的で些細なものになるのを防ぐため、何らかの豊かな共通基盤が必要なのである。
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現在私は、未来の世界俳句の共通基盤全体を知らないでいる。とは言うものの、「夢」というキーワードが示してくれた共通基盤の一部分は、たいへん豊かに見える。百のキーワードでも、共通基盤の全体を例示することはできないだろうが、より広がった貴重な部分を明らかにしてくれるだろう。私は再び言っておきたい。国籍、宗教、好み、趣味、年齢などの二次的な相違を超えて、私たちは共通の何かを分かち持っていると。
「見る前に跳べ!」
私たちの共通基盤はまだ展開されていないが、あちこちに存在している。したがって、私たちの共通の夢、すなわち世界俳句は、日本の俳句の輝かしい大家の一人、金子兜太の俳句が私たちに示すように、大変有望なのである。
よく眠る夢の枯野が青むまで
夏石番矢『世界俳句入門』(沖積舎、2003年)所収。