俳句をとおして本当に東洋と西洋は出会ったか?

夏石 番矢

西洋人は本当に俳句に遭遇したのだろうか? この重要な問題を前にして、私に鳴り響く答えは、同時に「はい」と「いいえ」である。この曖昧さは、ほとんどの西洋人が翻訳を介在させてしか俳句に遭遇していないという事実に由来する。私たちの世界では、翻訳が必要不可欠だとしても、いわゆる「俳句詩人」と自称する人は、どうして日本語を学ぼうとしないでいられるのだろうか? 数年前のヨーロッパで、ある俳句の国際的行事の最中に、私はひとりの老人に尋ねてみた。「どうして俳句をもっと知るために、日本語を勉強しないのですか?」彼はこう答えた。「年を取り過ぎているからできないのさ」私は会話をそこで終わらせた。
この東洋と西洋の質疑応答を、皆さんはどう思われるだろうか?
まず最初に、不幸なことに、海外の俳句についての情報はつねに正確ではないと言わなければならない。ときには情報が奇妙なので、私が笑ってしまうこともある。
英語で俳句を書く人たちのバイブルは、R・H・ブライス(一八九八~一九六四)著の『俳句 第1巻~第4巻』(北星堂、日本、一九四九年~一九五二年)である。私が学生のころ、このバイブルを買ったのだが、すぐに東京の古本屋に売り飛ばしてしまった。なぜなら、ブライスが、俳句の詩学を無視して、日本精神の典型と彼が信じるものを、俳句においてあまりに誇張しているからだ。
二十年後、英語で書かれる俳句に親しめば親しむほど、ブライスの著作の直接的間接的影響を見つけるようになった。このインターネット時代に、書店のサイトを通じて、ブライスの俳句についての本をまた買うことになった。
ブライスによる俳句のバイブルとの再会をまずは喜んだあと、そのなかの一節を読んで、私は笑いはじめてしまった。ブライスは、『俳句 第1巻』(一九四九年)で、芭蕉の俳句を次のように引用している。

無私であることの条件とは、ものごとが、利益になるか不利益なるかという関連なしに、見えることである。たとえ、深遠で精神的な種類の関連でさえいらない。
神を愛する人は、神が見返りとして自分を、ひいきして特別な愛着を示して、愛してくれることを望みはしない。
霧時雨富士を見ぬ日ぞおもしろき                  芭蕉

Misty rain;
Today is a happy day,
Although Mt. Fuji is unseen. Bashô

日本語が理解できない人たちには、この一節はかなり納得できるだろう。日本の学者も、このブライスの解釈をほめている。
学者としても詩人としても、私は芭蕉の俳句を、この句に芭蕉が選んだ日本語の繊細な一語一語をもとに、分析してみたい。最初の日本語「霧時雨」は、ブライスの翻訳にあるような「霧雨」ではなく、「濃霧」を意味している。だから、この句の最初のことばからして、私たちは突然、視界を失う。芭蕉のこの意外なわざは、私たち読者を驚かせる。二番目のことば「富士」は、日本で一番高く、一番有名な山。このことばは、私たちをくつろがせ、元気付けてくれる。それから、次の「見ぬ」は、見えないということで、調子がまた変化する。このことばは、富士山の美しくはれやかな景色を打ち消してしまう。「見ぬ」に続くことば、「日」は、一日を指している。最後のことば、「おもしろき」は、形容詞であり、今度はそれまでの否定的な調子とは正反対である。全体として、この俳句において芭蕉は、富士山を見られない一日も、自分にとっては興味深い、と言っている。
この俳句は、芭蕉の句の最高作ではないが、それでも、いくつかの要素(瞬間)と変化を含んでいる。これらを、ブライスは見逃したか、強調しなかった。
もう一方で、この短詩は、「無私」を伝えてはいない。「無私」は、ブライスが考えたように、日本の古い精神性、禅につながる。
世界で、自己のない詩人はいるだろうか? たとえ、詩人が「無私」に到達するとしても、たくさんの自己、別の言いかたをすれば、エゴの諸段階を通り抜けてはじめて、実現する。
芭蕉は一六八四年、彼の中年期に、さきほど引用した句を作った。「無私」とはほど遠い時期だった。考えても見よ、何かがおもしろく感じる人間は、「無私」ではありえない。さらには、芭蕉は、生涯のそのとき、俳句創作の新しい方法を発見するため苦闘していた。
R・H・ブライスが、日本の古い精神性を見つけたのは、私たちにとっての幸福である。たしかに、日本文化のある部分は、禅に基づいている。しかしながら、禅による説明という先入観の視点から俳句を受け取ることは、キリスト教の視点から、西洋の詩を受け取ることと同じではないだろうか? こういうふうに考えるならば、西洋人は、ブライスの先入観に賛同できるだろうか?
『俳句 第1巻』に引かれた俳句に話を戻せば、私たちの日本古典俳人は、富士山が見えない日がおもしろい、とい言っているのではなく、富士山が見えないけれども、富士山を心のなかで想像できるから、その日はおもしろい、と言っているのである。R・H・ブライスは、芭蕉の俳句を誤解し、誤訳した。
英語圏の人々のみならず、西洋人に俳句を広めたブライスの功績をけなすつもりはない。だが、ブライスの日本の俳句の誤解と誤訳は、単純化しすぎた視点に根があり、ときどき日本の詩歌の的をはずことがある。
ブライスによる『俳句 第1巻』の序文に、「禅と詩歌は実質的に同義語だと私は理解している」とあり、これが西洋世界への俳句受容を誤った方向へ導き、今日にいたるまで、ゆすぶることのできない、拭い去れない悪影響を残した。ブライスのこのような単純すぎる俳句理解は、彼の師、ひとりの日本人仏教者、鈴木大拙(一八七〇~一九六六)から来ている。20世紀の日本の禅の大家は、俳句を含む日本文化を、禅仏教の観点から、大胆に西洋世界へ紹介した。俳句創作における禅の役割の誇張を、ブライスは、自分の師、鈴木大拙から学んだ。この禅の大家は、「禅と俳句」というエッセイで、次のような誇張を書いている。

仏教を離れて、日本文化を語ることはできない。日本文化のどの発展の局面においても、さまざまなあらわれかたで、仏教的感情が存在するのがわかる。
(Zen and Japanese Culture, MJF Books, USA)

私はこの主張に部分的に賛成しながら、日本文化に、アニミズムという背骨があることを強調し、ふたたび書き入れておきたい。現代においてさえ、わが国にアニミズムの伝統が存続している。東京の道路のまんなかにある、高くて古い木に、人々は畏敬の念を持つ。だから、こういう木は、悠々と立っていられる。私の住む富士見市を歩き回っていると、高い木々でおおわれた神道の神社を、簡単に見つけられる。
日本のアニミズム的伝統の、より広くて影響力の強い重要性を知らずに、R・H・ブライスは、鈴木大拙の教義を素朴に信じた。ブライスは、鈴木大拙のいいお弟子さんだった。幸か不幸か、ブライスは、後続世代の詩人にかなりの影響力を及ぼした。ブライスのおかげで、俳句は、短詩ではなく、神秘的で単純化されたことば遊びとなってしまった。一九五五年に、ブライスの『俳句 第1巻~第4巻』を読んだあと、米国のビート詩人、アレン・ギンズバーグ(一九二六~一九九七)は、「四つの俳句」を書いた。そのうちのひとつを次に引こう。

Lying on my side
in the void:
the breath in my nose.

空虚のさなか
脇腹を下にして寝て
息が鼻のなかに

(Collected Poems 1947-1980, Harper & Row, USA, 1984)

この短詩を書きながら、ギンズバーグは、日常生活のなかの一瞬間をとらえた。しかし、この瞬間が本当に大切なのかどうかという疑問が残る。
この短詩によって、ギンズバーグは、自分の生きているからだの通常の働きを再認識した。だが、この俳句は心に響くだろうか? ささいな発見以外の何かを、私たちに思い浮かべさせられるだろうか? ギンズバーグによって書かれたこの三行は、中軸のない沈黙に支配されている。
日常生活に、ささいな美やささいな真実を見つけるのが、20世紀の詩の特徴かもしれないが、ずっとささいなままの、ささいなものは、本当の詩の主題ではない。

ところで、R・H・ブライスや鈴木大拙との関係を私は知らないのだが、著名なフランスの批評家ロラン・バルト(一九一五~一九八〇)は、『記号の帝国』(L’Empire des signes, Editions d’Art Albert Skila, Swiss, 1970)のなかで、俳句に奇妙なかたちで触れている。

俳句(線分)は、直接的な動きで「あれ!」とだけ言いながら、何にせよ指で指し示す子供のしぐさを表
現する……俳句は何も特別なことを言わない、これは禅の精神に合致している……

この本には、日本文化についての鋭い指摘も見られるのだが、バルトの俳句理解は、極端なまでに異様だ。バルトは、鈴木大拙やR・H・ブライスの間接的な弟子だろう。
バルトは、正岡子規(一八六七~一九〇二)のこの一句を、「絶対的なアクセント」と見なしていた。日本語の原句、バルトの本にある長い仏訳、そしてこの講演のために作った短い英訳を引いてみよう。

牛つんで渡る小舟や夕しぐれ

Avec un taureau à bord,
Un petit bateau traverse la rivière,
A travers la pluie du soir.

A cow on board
a little boat traversing―
autumn evening rain

どうしてロラン・バルトは、このような平凡な俳句に興味を持ったのだろうか?
バルトにとって、日本の俳句は、束縛された古い西洋文化から自由な子供でなければならなかった。彼にとって、俳句は、意味でいっぱいの長い西洋の詩と正反対でなければならなかった。バルトは、俳句が短すぎて、意味を内部に含めないと考えた。バルトの俳句理解は、鈴木大拙やR・H・ブライスと同様に、過剰に単純化されたものだった。違いは、フランスの有名な批評家、ロラン・バルトが、俳句に意味を与えることを禁じて、俳句を極度に単純化し、不毛にして、俳句を、西洋文化からの逃避の悲鳴として、私たちに投げ出したことだ。言うまでもなく、俳句は、意味から逃れられはしない。日本人を含む人類は、意味のない表現に耐えられない。表面的にナンセンスに見える表現も、人間のあらゆる発語において、なにがしかの意味を伴っている。

いま私は海外の俳句創作を否定しているのではない。それどころか反対に、多くの言語での俳句の可能性を確信している。そのような豊かな可能性を実現するには、西洋の俳句理解に、深まりをもたらさなければならない。俳句は仏教の詩ではない。俳句は意味から逃れられない。何よりもまず、俳句は詩のエッセンスでなければならない。俳句の小宇宙のなかに、私たちは大宇宙を見ることができる。たった一句の俳句も、いくつかの要素(瞬間)といくつかの変化からできているのは、先ほど引用した芭蕉の俳句で目撃したとおりである。

私が若かったころ、西洋の詩を学び、俳句を書いていた。私は新しい俳句創作方法を発見しようと試みた。

階段を突き落とされて虹となる

Shoved off the stairs―
falling I become
a rainbow
(A Future Waterfall, Red Moon Press, USA, 1999)

もちろん、この俳句を、仏教的ベースから書いたわけではない。たぶん、あるつらい経験を昇華させようと、このような俳句を書いた。この句の初案は、次のとおりである。

階段を突き落とされて貝となる

Shoved off the stairs―
falling I become
a shell

あなたにとって、「虹」と「貝」のどちらがいいだろうか?
日本語では、「貝となる」は、「沈黙を守る」という意味。かなり陳腐な表現だった。「虹」が「貝」にとってかわるやいなや、この俳句全体が、火花を放ち始める。この俳句は、予想外の要素(瞬間)や変化を内部に持つようになる。この昇華は、私の信じる俳句詩学の核である。

すぐれた詩人たち、たとえば、スウェーデンのトマス・トランストロメール(一九三一~ )、ポルトガルのカジミーロ・ド・ブリトー(一九三六~ )が、それぞれの言語で、俳句を書いている。いずれも、その国を代表する詩人で、国内のみならず、国際的評価が高いが、日本ではほとんど知られていない。
まずは、トマス・トランストロメールの思索的な俳句を見ておこう。

The white sun’s a long-
distance runner against
the blue mountains of death.

白日の長
距離走者が
死の山脈を背景にして

The presence of God.
In the tunnel of birdsong
a locked seal opens.

神の存在
鳥の囀りのトンネルに
封印が開かれる
(New Collected Poems, Bloodaxe Books, UK, 1997)

半身不随のため、もう口をきけなくなったこの詩人と、二〇〇三年に、私はマケドニアで出会った。ストゥルーガ詩歌の夕べにおいてであった。この詩人が、多くの詩人から敬愛されているのを肌で感じた。
もう一人の詩人カジミーロ・ド・ブリトーは、私の親友だ。彼の俳句に、南欧の底抜けの明るさと虚無主義の共存が見られる。

De canto em canto
vou caindo
no charco do silencio.

De chant en chant
je tombe
dans l’étang du silence.

歌うにつれ
沈黙の池へ
落ちてゆく
(intensités intensidades, l’arbre à paroles, France, 1999)

これはポルトガル語とフランス語対訳詩集の一句。おそらく芭蕉の「古池や」にヒントを得て作られたものだろう。

Poeta audacioso―
ousa decifrar as sombras
da luz original

Poète audacieux ―
il ose déchiffrer les ombres
de la lumière originelle

An audacious poet―
he dares to decipher the shadows
of pristine light

大胆な詩人
原初の光の
影を読み解く
(HAIKU PARA KISAKO, in Ginyu No. 26, Japan, 2005)

こちらは、私が発行する国際俳句雑誌「吟遊」に、ポルトガル語、英語、フランス語、日本語の四言語で発表された俳句。詩人の役割に対する自覚を力強く詠んでいる。

これらの高度な作品は、まだ少数であり、俳句創作や俳句が、それぞれの国々で、広く深くは認知されていないかもしれない。
いま俳句は、おもに異国趣味がもとになって、受け入れられているのかもしれない。表面的な異国趣味は、単なる一時的なひまつぶしにすぎない。けれども、深められた異国趣味は、何か新しくて、貴重なものをもたらしてくれるにちがいない。俳句の詩学が、多くの国でよく知られるようになったならば、俳句はよりいっそう受け入れられ、詩としての実体を持った短詩、国内と海外の賞賛にふさわしい短詩を生み出すだろう。これが、まさしく「世界俳句」という私の理想である。

本稿は、第三回世界俳句協会大会(二〇〇五年七月十五日~十八日、ブルガリア開催)のための講演原稿(原文は英語)の和訳に加筆したものである。

夏石番矢・世界俳句協会編『世界俳句2006』(七月堂、2005年)所収。

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