■会合報告 Meeting Report
Hideki ISHIKURA 石倉 秀樹
「東京ポエトリー・フェスティバル2008(TPF2008)」が、十月三十一日から十一月二日までの三日間、明治大学のリバティーホールおよび紫紺館で開かれた。
主催は東京ポエトリー・フェスティバル協議会・短詩文化学会である。東京都、EU・ジャパンフェスト日本委員会、(財)セゾン文化財団、朝日新聞文化財団ほかの助成、外務省、明治大学、日本現代詩人会ほかの後援を受け、海外から二十か国二十人、日本からは二十一人の詩人、歌人、俳人が参加し、自作を朗読する大きな詩祭となった。聴衆は、私の目算で延べ六百人。その国際性はわが国空前。聴衆にとっては、次に掲げる開催趣意への期待に十分に応えるものとなった。
(開催趣意)
日本の詩歌は、長い歴史を背景に、詩、短歌、俳句という個別のスタイルを持った文芸となって、今に生きる私たちの暮らしに息づいている。この豊かな詩歌の精神を海外の詩人に知ってもらうことは、日本文化を世界に認知させる大きな力となる。また一方で、世界の最前線で活躍する詩人の朗読に接し、その魂に直接触れることは、日本と海外の詩人に必ずや新たなインスピレーションをもたらす。
従来、詩人の国際交流は、限られた人が海外の詩祭に呼ばれるというかたちで行われてきた。しかし、一昨年、東京で行われた「日欧現代詩フェスティバルin東京」によって、日本で詩歌祭を開催することの意義は明らかとなった。その成果を継承し、ヨーロッパとヨーロッパ以外のアジアをはじめとする各地域との交流も視野に納めて発展させていきたい。
また、短詩文化学会と協力し、世界の詩歌の状況を学術的に調査する機会としたい。
世界によく知られた都市「東京」を拠点に、日本の詩歌の存在感を高め、そのいっそうの発展を願って、私たちは「東京ポエトリー・フェスティバル2008」を開催する。
発表詩人、歌人、俳人は次のとおり。
海外からは二十人。出演順に、アユルザナ・グンアージャブ(モンゴル)、トニ・ピッチーニ(イタリア)、カイ・ファルクマン(スウェーデン)、ヤン・ローレンス(ベルギー)、スサンナ・ヨーン(デンマーク)、グラント・コールドウェル(オーストラリア)、リチャード・べレンガーテン(英国)、韓成禮(韓国)、ドラゴ・シュタンブク(クロアチア)、レイチェル・ルヴィッツキー(アメリカ合衆国)、カジミーロ・ド・ブリトー(ポルトガル)、ペータル・チューホフ (ブルガリア)、ヨウニ・インカラ(フィンランド)、田原(中国)、リシャルド・クリニッツキ(ポーランド)、ケスチュティス・ナヴァカス(リトアニア)、ブラネ・モゼティチ(スロヴェニア)、ヤン・エーリック・ヴォル(ノルウェー)、アミール・オル(イスラエル)、アタオル・ベフラモール(トルコ)。
また、日本からは二十一人、詩では、白石かずこ、高橋睦郎、八木忠栄、藤井貞和、ねじめ正一、平田俊子、小池昌代、新井高子、田中庸介。短歌では、岡野弘彦、福島泰樹、沖ななも、辰巳泰子、高坂明良。俳句では、阿部完市、馬場駿吉、田中陽、夏石番矢、鎌倉佐弓、生野毅、秋尾敏。
プログラムは、
10月31日 18:00~20:00 レセプション
11月1日 10:00~12:00 朗読1
13:30~15:30 朗読2
16:00~18:20 朗読3
18:50~20:30 トーク(発表者スピーチ・質疑)
11月2日 10:00~12:00 朗読4
13:30~15:50 朗読5
16:20~18:00 トーク(発表者スピーチ・質疑)
18:00~20:00 お別れパーティー
東京ポエトリー・フェスティバル協議会の組織は、
ディレクター 乾 昌幸(明治大学教授・筆名:夏石番矢)
実行委員 八木忠栄(副ディレクター) 新井高子
沖ななも 雲井ひかり 生野毅
バー・ボルドー(富川力道)福島泰樹
秋尾敏(事務局長)
さて、私は、延べ二十四時間に及ぶ詩祭のおおむね八割に一个の熱心な聴衆として参加し、日本を含め世界二十一カ国の言語で朗読された詩、短歌、俳句を傾聴し、詩を巡るスピーチを拝聴した。熱心な、と私が胸を張る理由は、私が耳でまともに聞き取れるのは日本語だけ、ということがある。
世界二十一カ国。もっと正確にいえば、レセプションで詩人であり俳人である高橋睦郎が述べたように、わが国には、詩人は現代詩語で語り、歌人は短歌語で語り、俳人は、俳句語を語る、という状況がある。さらに、高橋は触れなかったが、定型俳句語であるとか、絶滅危惧語である漢詩語とかもあるだろう。そういう多言語が、日本語の散文とは別種の言語として存在していることを思えば、TPF2008で飛び交った言語は、二十数種の国語・方言であったのだろう。
しかし、高橋は、だから詩は国境を超え、言語の違いを超えることはできない、といったわけではない。言語の違いを超えるものとしての「詩」が追求されるべきことを、穏やかな、しかし確かなスピーチで締めくくった。だから、開催趣意にあるように「世界の最前線で活躍する詩人の朗読に接し、その魂に直接触れることは、日本と海外の詩人に必ずや新たなインスピレーションをもたらす」ことを信じ、多くの詩人・歌人・俳人がこの詩祭に集まったのであり、多くの聴衆が、その魂に触れようと集ったのである。そこには、ある国の言語がわかる、わからない、というテキスト読解の能力以上に、国境を超え、言語の違いを超えるものとしての、詩の言葉への信頼がある。詩を生むインスピレーションへ希求がある。
「詩」の言葉は散文の言葉ではない、ということを私たちの多くは知っている。しかし、散文と韻文、この違いをめぐる私たち日本人の認識は、いささか曖昧である。日本語の韻律論は、多くの場合、七五調あるいは五七調の字数律のみを日本語の韻律の正格とするものである。しかし、日本語の詩には、七五調あるいは五七調に作らずとも響きのよい作品がたくさんあり、字余りなどいわゆる破調の俳句や短歌に佳作があり、沖縄の琉歌は八八八六に作るなどの例があり、字数をもとに日本語の韻律を論じることは、あまりうまくいっていない。日本語は韻律に乏しい言語である、そこで、韻律をめぐる考えが粗雑になってしまうのかも知れないが、七五調あるいは五七調をめぐる単純で散文的に過ぎる韻律論は、ヤン・エーリック・ヴォルの短いスピーチによって、吹き飛ばされてしまった。ヤン・エーリック・ヴォルは、poetryとproseの違いをみなさんにお教えしよう、と話し始めた。そして、彼が説いたのは、poetryはpointであり、proseはlineである、ということ。詩の言葉は点を打ち、散文の言葉は線を引く。
poetryとproseを韻文と散文という言葉に置き換え、詩=韻文=響きのよい抒情とする詩歌観は、韻文・散文という言葉を漢語から借りてきたために起きているのではないか。漢詩では「韻律」とは、押韻と平仄の規律を踏まえて詩を作ることをいう。押韻であるから「韻」、規律であるから「律」である。そこで、音数や字数は、平仄を調え押韻をした結果のものと見るべきであり、字数のみが整っていても響きがよいことにはならず、「韻律」に叶っているとはいえない。一方、わが国の七五調、五七調は、平仄の調整や押韻が必須ではない日本語という舞台で説かれている韻律論である。この漢語と日本語の根深い違いを無視して、韻文・散文という日中に共通の言葉を用い、日本の短歌・俳句などと漢詩の共通性、彼我の「詩」に普遍的な要素として字数を論じ、「韻律」に叶っているかどうかを説くのでは、韻律ひいては詩の本質を、見誤ることになる。
これに対し、ヤン・エーリック・ヴォルのpoetry・prose論は、詩をめぐって二十世紀の欧州が獲得した新しい知見を、短い言葉で明快に表現している。なぜなら、十九世紀の欧州のpoetryは、ソネットやバラードなどの押韻詩にしろ、アレクサンドラン格などの音数制御にしろ、音数の規律と押韻の定型詩であり、韻律に依拠する中国の古典詩にも似たものだったからだ。しかしpoetryは、どれだけ韻律に従って音調を整えても、言葉を「線」で繋げる限りは、proseなのだ。だから、欧州のpoetryは、十九世紀末には音数と押韻の制御を捨て、「線」の詩である散文詩proseを生んだ。そして、二十世紀には、「線」から「点」の詩へと展開した。シュールレアリズムの成果を踏まえ、再び詩の本源へと回帰するがごとくに。
しかし、詩の言葉の本質が「点」であることは、わが国では、きちんと認識されてはいない、としなければならないだろう。詩の言葉が「点」であることの発見こそは、芭蕉や一茶などの日本の俳句が世界へ向けて発信したことなのだが、俳人の多くは、そういうことにまして、守られるべきものとしての五七五や、季語の斡旋に俳句の詩性を説くことに心を奪われている。
だから、句会で俳句を磨くことはしても、詩の言葉の本質である「点」への回帰を自覚した先駆的な俳人や歌人の朗誦を、自分の耳で聴いてみようと思う俳人や歌人は、まだまだそう多くはない。きちんと印刷された俳句や短歌のテキストを何度も黙読し、熟読玩味し、テキストにこめられている作者の思いへと深く沈潜していくことが、作品の味読であると思われている節がある。そして、その種の味読は、作家論などに結実して、「点」である作品と作品を結ぶ「線」の発見をめざすものである場合が、少なくない。
しかし、先駆的な俳人や歌人は、「点」への回帰を、そのテキストにおいて、また、舞台での朗誦において力強く実践していた。百戦錬磨の福島泰樹の短歌の絶唱は、テキストは読むな、おれの声を聴け、と叫ぶが如くであったし、沖ななもは、声を張り上げこそはしないが、必ずしも規則的ではないテキストの一部の、耳にとても快いリフレインによって、一端は完成されたもののはずの五七五七七のテキストを、その場で組み立て直す朗読をした。そして、生野毅にいたっては、舞台に映し出された海の波のごとき映像を背に右へ左へと徘徊し、俳句のテキストをつぶやきに分解し、叫びに変え、彼の俳句のテキストは、その復元が並大抵ではないまでに分解され、言葉が「点」に変わってしまっていた。なぜ彼がそうしたかといえば、彼にとって俳句の朗誦とは、句の誕生の瞬間を再現することに他ならないから、なのだろう。
俳句の誕生の瞬間の「点」にまで破壊され、寸断されたテキスト=日本語は、意味重視の理解を粉砕してしまうという点で、私が学んだことのない外国語と大差がない。しかし、そこには、分解され、寸断された意味の伝達以上に重要なこととして、俳句誕生の感興を伝えようという意思、すなわち肉声がある。
詩は文字が生まれるずっと以前から肉声とともにあったはずなのだが、私たちは、いつの時代にこの肉声を失ってしまったのだろうか。私たち多くの日本人は、詩は、本屋で詩集を買い、ひとりきりの書斎やリビングで、眼で読めばよいものと考えている。詩は作り、歌は詠じ、俳句は句を作るものなのだが、詩も吟じ、歌は詠じ、俳句も声に出せば朗誦できるのに、眼でテキストを読むことが、それらを鑑賞する大道であるかのように思いこんでいる。眼で読み、声は出さない、そうしなければ、テキストに籠められた作者の意図などを深く読み込むこと、つまりは、作品の味読という散文化が達成できないからだ。
そして、TPF2008の聴衆として参加しなかった日本人は、なぜ参加しないかという理由に、私は日本人だから、ということがあり、英語がわからないから、ということがあり、私は詩人ではないから、ということがあるのだろう。確かに、私たちは、詩人であることを天命としてこの世にあるのではない。いったん日本語を習得したのちは、日本語は、日本というこの国において、日本の発展のために用いられればよいのであって、つまり、仕事に役立てばよい。日本語で詩を作ることは、日本人に課せられた義務ではない。
しかし、そういう者は、生まれたばかりのときに自分が何語を話していたかを、すっかり忘れてしまっている。私たち成人は、それぞれに国籍を自覚し、民族を自覚し、しばしば国籍と民族とともにある母語を自覚している。しかし、赤子らには、国境はなく、民族もない。だから、彼らが話す言葉は、宇宙語なのだ。天からくだって、この世の光を初めてみたときに、彼らが口にするのは、泣き声。泣き声に、国境はない。
それでも、生まれたばかりの赤子には、個性がある。だから、ある赤子は、目の前に地球人の顔があれば、舌を出す。あるいは、アカンベエと舌を出し、それから、にっこりと笑う。そしてまた、ある赤子がもっとも好んで口にする言葉は、ザッカリ、ザッカリ。日本語に翻訳すれば、まわりの地球人が何を言っているのか理解できないので、助けてくれ、わたしは何をすればよいのかわからない、だから、ザッカリ、ザッカリ。
しかし、そういう赤子たちも、やがては散文を覚えてしまうのだ。世界のそれぞれの地域の民族の言葉を覚え、宇宙語を忘れてしまう。赤子にとって生まれて後の三年間は、内なるバベルの塔が静かに、しかし確実に、崩壊していくプロセスなのだ。リチャード・べレンガーテンは「詩は民族や死を越える」といい、ブラネ・モゼティチは「詩は自由の最後の砦」だといった。しかし、国境と民族が人類を分断する大人の世界、人々の魂の自由を奪う散文の世界は、容赦なく宇宙語を殺してゆく。
詩と詩人たちは、その分断と散文への隷属を、受け入れることができない。だから、ペータル・チューホフは「詩は溜まりに溜まった水滴が出口を求めるように、止むに止まれぬ心の沈黙の動き」だといったし、カジミーロ・ド・ブリトーは、詩に触れれば、「世界がたった今生まれたばかりのような感興を持つ」といい、アタオル・ベフラモールは、「幼少の頃そのままの感性に忠実でありたい」と語り(以上、詩人の言葉は鎌倉差弓のブログから引用)、リシャルド・クリニツツキは、次の短詩(土屋直人訳)を朗読した。
今まで間違う事なき娘が/読み書きを習う/でついに間違え始める
で僕は人類の太古の間違えを/再び繰り返す
そして私もその間違えを繰り返し、宇宙語を忘れたのだが、TPF2008は、そういう私が宇宙語を思い出すとても懐かしい詩祭だった。世界二十か国の外国と日本の計二十一か国の詩人が、それぞれ母国語で詩を朗読語したのだ。チンプンカンプンである。第一、日本の詩人、歌人、俳人の言葉も、読み返しが可能なテキストのようにはしっかりと把握できない。詩の言葉は日常の言語とは違う、とはフランスの詩人、ジャン・コクトーの言葉だが、日本の詩人、歌人、俳人の言葉でさえ、朗読という場では、しばしば外国語となる。それらは、日常の用を足すための言葉ではなく、彼らが私たちに何かをしてくれと求めているわけではなく、ただ、私の思いを聴け、声を聴け、わたしたちは仲間ではないのか、と彼らは声を響かせる。
肉声にはたとえ語義がしっかりとつかめずとも、言葉の壁を越え心を伝える力がある。童心に戻ることができる心にそれは、多くのインスピレーションをもたらす。しかし、もはや宇宙語の時代には戻れない私たちには、テキストもやはり無視し得ないものであることも事実だ。語義は、声だけでは伝えきれない豊かなイメージを喚起してくれるからだ。詩人たちは、幼児期の宇宙語に限りない憧憬と郷愁を抱きつつも、その楽園をすでに追われていることをも熟知している人たちだ。だから、テキストの効果をも、十分に知っているのである。そして、俳句は、その言葉が「点」であらざるを得ないことによって、肉声とテキストの調和という両立を可能にしてくれる短詩なのである。多くの日本の俳人は、俳句を詩であるとして作るが、詩の言葉の「点」性を知る詩人は、詩の精髄を俳句に詠むことができる。だから、俳句は、国境を超える詩として多くの詩人に支持されており、TPF2008でも、多くの俳句が披露された。
虹のむこうに/網はない/わたしの曲芸 トニ・ピッチーニ
蜻蛉の/羽根をとおして/詩を読む カイ・ファルクマン
百銭つかつて風の日はすごしけり 阿部完市
反戦、あるく黄金虫と夏が 田中 陽
金獅子の眼下に歌劇場の火事 馬場駿吉
法王空飛ぶすべての枯れた薔薇のため 夏石番矢
空見る自由つぶれる自由 蟻に 鎌倉佐弓
掌はや淡水になじまぬよう 生野 毅
岬から始まる戦後秋燕 秋尾 敏
風光る雲のきんたまぶうらぶら 八木忠栄
世界を変えられず/君がサンダルの/砂を払うを許せ カジミーロ・ド・ブリトー
君は音楽を極端に上げ/瓶を床に落としたが/が、驚いたことに、割れなかった
ペータル・チューホフ
静かな木/空/君を動かす グラント・コルドウェル
以上は、TPF2008で朗読された俳句の一部であり、夏石番矢のブログに紹介されている。合計十三人、海外からの詩人は実に四人に一人が俳句を朗読したことになる。
TPF2008で朗読した吟遊同人の俳句は、私はそれらを日ごろからテキストで読んでいるので、もはや宇宙語ではない。しかし、夏石番矢の『空飛ぶ法王』二十五句の朗読は、詩祭という場で肉声を得て、世界に通用する「俳句」の要としてきちんと認識されるべき「キーワード」の詩的ありようを雄弁に打ち出し、刺激的だった。「空飛ぶ法王」は、神の遍在を象徴し、具象化する飛行体として、夏石の句から句へと飛び回っているが、それは、俳句における季語が、ある句からある句へと飛び移っていることと同じように機能している。ただ、季語が多くの場合、きわめてドメステキックに古き良き日本の四季を描こうとし、今は日本のどこにその四季があるのかと疑わしいまでに架空化しているのに対し、「空飛ぶ法王」というキーワードは、世界を股にかけて国際的であるし、現代的である。
一方、秋尾敏の朗読は、春夏秋冬に即して句を作るという日本詩歌の伝統を踏まえつつも、それらの朗読がジャズの生演奏と豊かにマッチすることを示し、世界へ向けて俳句の可能性を拡げることに成功していた。秋尾は『戦後』と題して編んだ二十五句を、春夏秋冬の順ではなく、秋冬春夏の順にくくって朗読したが、その季節の順に手を入れた悪戯は、俳句の朗誦にジャズを伴奏とした俳味とも無縁ではないだろう。俳句において「季語」を絶対不可欠とするのは「空飛ぶ法王」の前では完全に誤りである。しかし、季語を過去の文化遺産であるとして完全に脱ぎ捨てるべしとすることも、「季語」を絶対不可欠とすることと同様の誤りであるのだろう。夏石と秋尾の朗読の背後に、そのようなことが私には見えた。
そして、鎌倉佐弓の『薔薇かんむり』からの二十五句の明るくさわやかな朗読は、改めて声に出されてみると、俳句の自由と喜びを存分に満喫しようとする作者の思いが、聴衆の心と共鳴しあっているように思え、楽しかった。理屈抜きに楽しむもの、それが詩であり、俳句である。という当たり前のことを体感したいなら、鎌倉の俳句を聴くに限るし、何度聴いても聴き飽きないという新鮮さが、鎌倉俳句にはあった。