Dignity of World Haiku
―Reading Ban’ya Natsuishi’s Haiku Collection “Earth Pilgrimage”
世界俳句としての品格
―句集『地球巡礼』を読む
夏石番矢句集『地球巡礼』、立風書房、東京、1988年11月1日刊
Ban’ya Natsuishi, Haiku Collection “Earth Pilgrimage”, Rippu-shobo, Tokyo, November 1988.
Shin’ich Suzuki
鈴木 伸一
このところ、夏石番矢氏の個人ブログ「ブログBan’ya(http://banyahaiku.at.webry.info)」を読み続けている。このブログには、夏石氏の豊かな人間性と該博な知識が横溢していて教えられることが多いのだけれど、先日、たまたま次の一節に出くわして、えらくショックを受けた。
ひとつの言語しかできない人間の思考回路は、平板で貧しい。
この少し前の部分には、
だいたい、ほとんどの米国人は、アメリカ英語しかできない。しかも、かなり単純な英語しか理解できない。前置詞プラス関係代名詞の構文を会話で使うと、普通の米国人には「ちんぷんかんぷん」だ。 この貧しい言語能力が、いかに狭い見識を招き寄せるか。 多言語の米国人には、良識人が多い。
とあり、冒頭の強烈なパンチは米国人に向けてのものだということが知れるが、しかし、ちょっと待てよ…
ひとつの言語しかできない人間の思考回路は、平板で貧しい。
これって俺のことでもあるよなあ、と思い、正直へこんだ。何しろ、私は日本語しかできないのだから。その上、これまで日本国内からほとんど出たこともないのだ。外国語ができないのは、学生時分、ろくに勉強しなかったせいもあるし、私自身の持って生まれた学習能力の貧困さのためでもあるだろう。海外渡航の経験に乏しいのは、私の現在の仕事が、海外とのつながりのまったくない職種のためだということもあるし、個人としては、経済的な余裕がないことにも因る。さらに付け加えると、恥ずかしながら、飛行機が怖いということもある。 そんなありさまであるから、あらためて考えれば、アジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカの諸国を股にかけて詠まれた『地球巡礼』(一九九八年、立風書房刊)を論じるなど無謀もいいところ、「盲蛇に怖じず」とは、まったくこのことだと思えてくる。で、そう思った途端にすっかり意気消沈し、そこからいっこうに筆が進まなくなってしまった。こんなことならブログなど読まなければよかったとさえ考えたが、もう後の祭りである。
かくして、何とも気が重いまま数日を過ごしたのち、このままではいかん、と思い直して『地球巡礼』を読み返してみたところ、やはり「いいなあ」、と不思議なくらい素直に思えるのである。ひとつの言語しかできない私の思考回路は、確かに平板で貧しく、見識も狭いだろうが、さりとて、この「いいなあ」という思いは、私にとっては、とても大事なものだ。そして、この思いというのは、世界の中の「俳句」の正当な位置づけのために、日本の多くの俳人の誰よりも心血を注いでいる夏石氏への尊敬の念と、その文学的営為に対する憧憬に由来するものであると言えそうな気がする。 「尊敬」と「憧憬」。夏石氏との付き合いもすでに十数年になるが、この間、私がずっと抱いてきたのは、確かにこの二つの思いであったと、今回、『地球巡礼』を論ずるに際して、あらためて強く感じた。日本では、うまい俳句を作る俳人は多いが、作品と文学的営為、さらに人間性まで含めて尊敬できる俳人は、残念ながらごく少数だ。私は、二十歳ごろから三十年近くも俳句と関わってきたけれど、その経験から導き出された現状認識が、情けないけれど、これである。日本という国の閉鎖的・排他的な俳句社会には私もほとほと愛想が尽き、いわゆる俳壇的な交友というものをほとんど断って、はや十年が過ぎた。だからこそ、夏石氏のような尊敬に値する俳人が身近におり、その謦咳に接することのできる喜びは大きい。 ともあれ、この一条の光明を頼りに、おぼつかない足どりながらも、もう少し本書を読み進めてみようと思う。
さて、夏石番矢氏の第八句集である『地球巡礼』(一九九八年刊)の作品群は、先述の通りアジア・ヨーロッパ・アフリカ・アメリカの諸国を精力的に往還する中で生み出されている。年代的には、一九九三年から九七年までの五年間に詠まれたもの。その間、九六年五月から九八年三月までパリに滞在するなど、夏石氏にとって、日本以外の各国で過ごす機会が非常に多かった時期でもある。何にせよ、その移動距離は相当なものだろうが、私などにはちょっと見当がつかない。 まあ、それはさておき、日本人が日本国外で詠んだ俳句を一般的に「海外詠」と呼び習わしており、古くは正岡子規の日清戦争従軍俳句(明治二十八年)や、高浜虚子の洋行俳句(昭和十一年)などがある。俳句と同時期に書かれた紀行文でも虚子が使っている「洋行」という言葉は、「外遊」などと共にちょっとレトロな匂いを漂わせ、これはこれで悪くない印象だが、やはりどこか物見遊山的な気分が混じるのも否定できないところだろう。それでも、七十年も前の俳句だから、こんなものだろう、と笑って許せる部分もあるけれど、どうにも笑えないのが、今日もなお虚子と同等か、それ以下のレベルの海外詠しか書くことができないでいる、現代日本の俳人達の無能ぶりである。まあ、悪態ばかりついていても仕方がないので、これ以上は言わないが、ただ、こうした多くの凡庸な海外詠に比べ、夏石氏の作品には、浮ついた物見遊山的な雰囲気が皆無であることだけは言っておかなければならない。何故このように断言できるのかは、のちほど説明するが、まずはこの一点だけをもってしても、子規以後、今日まで無数に書かれてきた海外詠と、夏石氏の海外詠は、根本的に次元が違うものということが分かるだろう。こうした作品群を、夏石氏自身は「地球詠」と名付けているが、大いに首肯できるものがある。
ところで、本書の「あとがき」にもある通り、従来、夏石氏は個々の句集ごとに明確なテーマ体系を打ち出し、より構成的な句集という書物の可能性を追求してきた。『真空律』(一九八六年)しかり、『神々のフーガ』(一九九〇年)しかり。『人体オペラ』(一九九〇年)や『巨石巨木学』(一九九五年)なども、また同様である。したがって、これらの句集では、収録された作品それぞれの評価もさることながら、作品集合体としての「句集」それ自体への評価を、より重視してゆくことが必要となってくる。句集という書物は本来、このようにあるべきものだと思うのだが、現在の日本では、「俳句は日記です」などというたわごとを本気で言う俳人もかなりの数いて、そうしたたぐいの俳句ばかりが収められた句集というのは、当然のことながら一貫性に欠け、読後の印象も、まったく散漫なものである。 片や、夏石氏の各句集は明確な意図のもとに構成されたものであり、それゆえ、取り上げられたテーマによっては、句集全体からギスギスした感じやとげとげしい感じ、あるいは挑発的であったり煽動的であったり、といった印象を受けることも少なくなかった。むろん、私はこれをいい意味で申し上げているのであるし、そもそも、個々の作品以上に、句集そのものが評価されなければならない俳人というのも、これまた日本では、きわめて数が少ないのである。
もうバリの雲の翁とさようなら
アラベスク純白の無を呼んでいる
黄色い蝶と広大無辺健忘症
太陽も海もとろけてボスポラス
ローマのあらゆるところの雄弁術と満月
詩は残りパリには煙の桐の花
樫の実や霧の上にて祈る人
海峡見下ろすケルト十字へ枯葉かな
マンハッタンの空虚は光と車と大声
それぞれ、インドネシア、チュニジア、中国、トルコ、イタリア、フランス、イギリス、アメリカでの作。きわめて個人的な印象であるが、これらの俳句のうち、アメリカでの作だけが、どことなく居心地が悪そうな表情を垣間見せているようにも思われる。本書は、俳句が書かれた地域と時期ごとに十一の章に分けられ、章ごとにタイトルが付されているが、アメリカでのそれは、「バブリー・ラヴリー・ニューヨーク」。ユダヤ教の礼拝堂である「シナゴーグ」と、ユダヤ系の人々によって実質支配されているニューヨークのバブリーな金融市場を戯画的に描いた
シナゴーグ閉ざされバブリー・マンハッタン
という作も並んでいる。 さて、ここで冒頭に紹介した夏石氏のブログの一節を思い出す。米国人へのきわめてシビアな批判精神と、それゆえに感じる違和感のようなもの、アメリカに心底からはなじめないといった思いが、多分、これらの作品の根っこにはあるだろう。 一方、ヨーロッパを中心とした作品はどうかと言うと、夏石氏の内面がずいぶんと穏やかになり、また伸びやかになっているような印象を受ける。ヨーロッパ諸国の文化と人々に対する信頼感と親近感がうかがえると言ってもよさそうだ。時折、夏石氏と電話で話すことがあるけれど、日本にいるときの夏石氏は、日本の文化全体を覆う閉塞感に苛立ち、文化人と称される人々が、裏ではきわめて政治的に立ち回っているという欺瞞に対し、強い憤りを覚えているように察せられる。それが、ヨーロッパでは消え去り、内面に平穏や伸びやかさが訪れているというのは皮肉なものだ。
とくにヨーロッパの小さい国の詩人には、安心でき、尊敬できる人がいる。
くだんのブログには、こういう一節もある。実際に現地を訪れたことのない私が言うことだから、まことに説得力に欠けるが、ヨーロッパ諸国の文化の厚み、多様性、洗練度、その他さまざまな要素が、夏石氏の内面と深く親和しているのだろうと推察するのである。私などはこれまで、海外の俳句というと、すぐに英語で書かれたものを思い浮かべていたけれど、真にすぐれた世界俳句は、英語のみならず、ヨーロッパの諸言語によっても生み出されてくる可能性が高いということなのであろう。そうした事情もあってだろうと思うが、やはりヨーロッパでの夏石氏の俳句には、豊かなイマジネーションと理性的な言語操作が見事に調和し、ある種の「品格」を備えたものとなっている。以前のような過激とも言える言語実験や挑発的な文体(これはこれで、十分に魅力的だったけれど)は影をひそめ、俳句のあるべき姿、すなわち真正の俳句として、そこに立っているという感じがする。これが日本以外の国々で生み出されたことに、私も含めた日本の俳人はもっと衝撃を受けなければならないし、恥じ入らなければならないだろう。 先ほど、『地球巡礼』の作品群に浮ついた物見遊山的な雰囲気は皆無であり、何故そのように断言できるのか、のちほど説明すると書いておいたが、それに対する私なりの答えが、この「品格」ということになるかと思う。つまり、真正の俳句としての品格を獲得するには、浮ついた物見遊山的な気分では不可能だということが言いたいのである。実に単純な論理で汗顔の至りだけれど、
その海外体験の際に、フランス、ドイツ、イタリア、イギリス、アメリカなどの各国のHAIJIN諸氏とも実際に意見交換を重ね、俳句や日本語以外のHAIKUについて根本から考え直した。 むろん、俳句創作欲にも強く駆られた。
という本書「あとがき」の一文などを見るにつけ、「世界俳句」は揺籃期をとうの昔に終え、『地球巡礼』の作品群が書かれた時期には、すでに成熟期に入っていたということがうかがえる。その意味で、本書は「世界俳句」の記念碑的な句集としての存在意義も大きいと言えるだろうし、成熟期の世界俳句におけるすぐれた成果として示されるべきものは、やはり品格を備えた作品でなければならないとも思うのである。
雨の一月カルタゴの丘には雌牛
すべてを忘れポプラ大樹は黄葉す
イタリアの大麦秋を蛇行せり
日曜のミラボー橋を羽毛飛ぶ
アルルは夢の化石よ北より来てみれば
あいまいな地中海へとミモザの火の手
龍が沈んだ大西洋の秋暑し
北からの暖かき潮そして僧侶
子は眠り流星豊かなブルターニュ
はりえにしだの黒い実われも荒波か
私自身は、これらの作品に世界俳句としての品格を見る。日本のような狭く息苦しい場所では到底詠み得ないであろう深い呼吸、そして、厚みのある歴史や気品ある文化の匂いを感じる。それぞれの土地に一度も足を運んだことのない私にも、私なりにそれが分かることがうれしい。そうしたうれしさをもたらしてくれるからこそ、私は夏石氏を尊敬し、また憧憬するのである。
初出「吟遊」第33号、2007年1月20日発行、吟遊社 |